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 自民党日本国憲法改正草案は、五つの文で成る前文に始まる。短いので、連載にあたって初めにそっくり引用しておきたい。草案全体の色合いが鮮明で、その意味では前文としての務めをよく果たしている。

 《日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。

 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。

 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。

 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。

 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。》

 草案に対しては、復古的だ、戦前回帰だと既に言われていて、逐条にわたる大部の批判書まで出ている。前文を一読してまず思うのは、現行の前文になじんでいるせいか、身を硬くしていて、のびやかでないということである。短く簡潔にしたこと自体は良いにしても、何か身構えたような、ゆめ油断してはならぬといった感じで息が詰まる。警戒態勢に入ったハリネズミのよう、と言って悪ければ、寄らば斬るぞと肩いからせた侍だろうか。

 何に身構えているのか。中国の台頭か、北朝鮮の脅威か、正体不明のテロ集団か、はたまた現行憲法を「押しつけた」アメリカか。そうとは思えない。身構えている相手は、現行憲法そのものであり、図らずも――とここではあえて言う――それを手にし、我が物にすべく育んできた戦後日本ではないか。

 安倍晋三首相は、この草案は「あるべき憲法の姿を示している」と胸を張っている。現行憲法は押しつけられたもので、みっともない憲法だとかねて公言してきた。前文については「全く白々しい文と言わざるを得ない」とかつて国会で語っている。

 さらば戦後ということか、前文は頭から――主語を「日本国民」でなく「日本国」にするところから――書き換えられた。あの愚かな戦争と敗戦は「先の大戦による荒廃」の一言で片づけられている。権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民が享受するという現前文の「人類普遍の原理」は削られて、あるべき世界を目指さんとする宣言も消えた。

 代わって現れたのが、天皇を「戴く」けれども国民主権であって、国際社会で既に一目置かれ、国民が「誇りと気概を持って」守る日本である。

 前文を5回にわたって考えてみたい。(福田宏樹)