LITERAより転載 また統計が証明!アベノミクスの嘘
また統計が証明!アベノミクスの嘘
またアベノミクスの嘘を証明する統計が! 増えたのは企業の内部留保と役員報酬、株主配当だけ、賃金はさらに減少
2016.09.07
自由民主党HPより
国民はこの数字をもっとしっかりと見るべきだろう。そう、アベノミクスはインチキだったことを改めて証明する統計結果が明らかになったのだ。財務省が9月1日に発表した法人企業統計によると、2015年度の企業の利益剰余金が前年度より23兆円あまり増えて377兆8689億円となり、4年連続で過去最高を更新した。法人企業統計は営利企業の実態などを把握するために財務省が企業の決算内容をまとめたものだ。利益剰余金とは、企業が稼いだ利益から株主配当などを差し引いた、いわゆる「内部留保」だ。
グラフにするとよくわかるが、この内部留保は安倍政権発足後から右肩上がりで激増している。2011年度と比べると実に100兆円近くも、さらに10年前と比べると175兆円も膨らんでいるのである。それだけ企業がお金を貯めこみ、肥え太ったというわけだ。
安倍晋三首相が念仏のように唱えるアベノミクスは、まず企業が肥え太って儲かれば、やがて富の雫が下々にまで滴り落ちてくるという理屈だった。トリクルダウンという理論だ。ところが安倍政権発足後、一般会社員の賃金は一部の超大手企業を除けば減少している。
それは前述の企業統計でも明らかだ。「しんぶん赤旗」の計算によると、資本金10億円以上の大企業の場合、従業員へ支払った賃金の総額こそ前年度より増えたものの、1人当たりは年間1.8万円減の561.7万円だった。総額が増えているのに1人当たりの賃金が減っているというのは、要するに非正規労働者など賃金の安い従業員が増えたからだ。これが安倍が自慢する「雇用の拡大」の現実なのだ。しかも、賃金総額自体も安倍政権発足時(2012年10月〜12月期)と比べると、3%も減少している。
つまり、待てど暮らせど、トリクルダウンはやってこないということだ。
企業や金持ちばかりが儲かって、貧乏人はいつまでも這い上がれないというのが、これまで本サイトが散々指摘してきたアベノミクスの正体だ。いい加減、国民も目を覚ますべきである。
しかも、従業員の賃金が減らされる一方で、役員の報酬は増加している。同じく10億円以上の大企業では、総額(8600億円)でも一人当たり(1865万円)でも前年度を上回っているのだ。1億円を超える報酬を取っている経営者は上場企業で昨年443人だったが、今年は503人に増えた。格差はどんどん拡大している。さらに、株主への配当金は前年度の1.4倍を超える17.3兆円、株を持っている人はウハウハだ。そして、大儲けした企業から国が徴収する3税負担額は前年度を200億円も下回った。
もう、おわかりだろう。安倍の言う「世界でもっとも企業が活動しやすい国」というのは、「下々」にしわを寄せ、格差をつくることで成り立っているのである。にもかかわらず、安倍首相は「アベノミクスのエンジンをブンブン吹かす」などと、ふざけたことを言っているのだ。
かつて日本は一億総中流と呼ばれ、企業と従業員が一丸となって国際競争に打ち勝ってきた。ジャパンアズナンバーワンと呼ばれた時代だ。それを支えていたのが、世界でも最高水準の労働分配率の高さだった。労働分配率とは、企業が儲けたカネをどれだけ従業員に還元していたかという数値である。
OECDの調査によれば、1970年代の日本の労働分配率は70%台後半で先進5カ国(G5)の中ではフランスに次いで高かった。
ところが、この数値がアベノミクスによって、どんどん低下しているのだ。財務省の発表では、2015年度の労働分配率は66.1%だが、これはリーマン・ショック前のミニバブルが起きた07年度(65.8%)以来の低さだという。
しかも、OECDと財務省の労働分配率の計算式は違っていて、財務省の数値の方が10%前後、高くなる傾向がある。
それで66.1%ということは、OECDの計算式では、15年の労働分配率は50%台まで低下しているということになる。すでに11年の段階で、OECD方式で算出された日本の労働分配率は60.6%にまで転落し、アメリカを下回って、G5最低になっていたが、状況はさらに悪化。企業が儲けたカネの半分ちょっとしか賃金に回ってこなくなっているのである。
しかも、一方で、上位1%の高額所得者が占める割合は増えている。日本は今、かつてないほどの格差社会、階層社会に陥っているのだ。
日本経済の本当の強さを引き出そうとしたら、この問題を是正する施策を打ち出すしかない。だが、アベノミクスは格差拡大、つまりはまったく逆行することをやっている。それで、一億総活躍などといっているのだから頭がおかしいと言うしかない。
(野尻民夫)
LITERAより転載 安倍政権の武器輸出がなし崩し拡大!
安倍政権の武器輸出がなし崩し拡大!
安倍政権の武器・技術輸出がなし崩し拡大! イスラエルと軍事研究画策、無人攻撃機でパレスチナの市民殺害も
2016.09.03
首相官邸ホームページより
安倍政権下で戦争のための防衛予算が増え続けている。今年3月に安保関連法が施行され米軍と一緒に戦争をする準備が整ったことを機に、防衛省による来年度の概算要求は史上初めて総額5兆円を突破した本年度予算をさらに上回る5兆1685億円、過去最大の規模に達した。なかでも目立っているのが、いったい何のために必要なのかわからないアメリカからの高額武器購入だ。たとえば、最新鋭のステルス戦闘機F35を6機まとめて“大人買い”するため946億円もの費用が計上されている。だが、ステルス戦闘機はレーダーに察知されずに敵地の奥深くに入り込むための武器だ。専守防衛の日本では端から使い道がないと言ってもいい。
あるいは、1機318億円もするボーイング社製の空中給油機KC46Aというのもある。自衛隊はKC767という優秀な空中給油機をすでに4機も購入していて、専門家の間からも必要性については甚だ疑問との声が上がっている。さらに、米軍が1機50億〜60億円で購入している輸送機オスプレイを防衛省は約100億円、倍の高値で買わされようとしていたり、まるで日本を守るための予算ではなく、アメリカの軍需産業を守るための予算のような趣なのだ。
こうした米国製武器の購入とともにキナ臭いのが軍事研究の助成費が大幅にアップされた事実である。「安全保障技術研究推進制度」の予算を今年度の6億円から一気に18倍の110億円にまで膨らませようとしている。軍事への応用が期待できる基礎研究を行う大学や企業への研究費助成を強化するというのである。この意味について防衛省担当記者が解説する。
「狙いはズバリ、日本の武器産業の国際競争力を高めることです。安倍政権は2年前、武器輸出を原則禁止する『武器輸出3原則』を撤廃し、世界中に武器を売りまくろうと画策している。そのためには、大学や企業の研究協力が欠かせないというわけです」
安倍政権は2014年4月、戦後の平和国家日本が堅持してきた「武器輸出3原則」を47年ぶりに全面的に見直しした「防衛装備移転3原則」を閣議決定した。「武器」を「防衛装備」と言い換え、「輸出」を「移転」と言い張ることで、それまで原則禁止していた武器輸出を、原則オッケーにしてしまったのだ。十分な議論もなく、言葉の言い換えや解釈変更を閣議決定するだけで重大な政策転換をするのは、安倍政権お得意のやり口だ。
あれから2年、実は日本は国民がほとんど知らないところで恐ろしい「武器大国」になろうとしている。その状況をつぶさにリポートしているのが、いま話題の『武器輸出と日本企業』(角川新書)だ。著者の望月衣塑子氏は東京新聞記者である。同書を読むと、事態はこれほど進んでしまっているのかと驚愕する。
閣議決定後の2015年10月には防衛省の外局として「防衛装備庁」が発足する。武器輸出の旗振り役だ。以後、潜水艦の輸出計画、戦闘機の独自開発、軍学の共同研究……などが矢継ぎ早に活発化する。望月氏が同書で一貫して問題視しているのが、こうした動きが国民の目の届かないところで、たいした議論もなく、なし崩し的に進められているという点だ。人を殺傷する武器の輸出とは一線を引くという、戦後日本の矜持が、こんなに簡単に変貌していいものなのか。
たとえば、武器輸出を解禁するということは、日本が世界の紛争当事国となるリスクが避けられない。欧米の軍需産業のトップは常にアルカイダの暗殺者リストに載っていて、海外に行くときはいつも警護要員をつけるという。社員も、そういう会社であることをわかって入社してくる。だが、日本の三菱重工やNEC、東芝……といった企業のトップや従業員にそんな(戦争に加担しているという)覚悟があるだろうか。ましてやその家族には、という話だ。
取材中、望月氏は欧米系の軍事企業幹部からこう問われる。
「そもそも(日本は)どういう国になりたいのですか? (中略)武器輸出以前に、日本はその上にある『国家をどうするか』ということが整理されていないのではないでしょうか。その議論を経ないまま、手法論に入ってしまっている」
これを受けて望月氏は、〈日本の国家、国民がどうあるべきかということを一番に考えるべき私たち日本人が、なぜかその話題を避け、「欧米列強に倣え、進め」と武器輸出推進の道に歩みを進めている。彼の指摘は、私の胸に何度もこだました〉と書いている。
安倍政権下で日本が「武器輸出国」としてどこまで足を踏み入れてしまっているか、詳細は同書を読んでもらうとして、象徴的な話を2つだけ紹介しておこう。まず、日本の最高学府である東大がそれまで禁じていた軍事研究を解禁したことだ。これが、どれくらい衝撃的なことか。
東大は真珠湾攻撃からわずか4カ月後の1942年4月に軍の要請に基づき兵器開発のために工学部の定員を倍増させ、現在の千葉大学の敷地に第二工学部を新設させられた。そこで、軍からの有無をいわせぬ武器研究と開発を強いられた。
戦後、東大は学問が戦争に利用されたという深い反省から、次の3原則を表明した。
(1)軍事研究はもちろん、軍事研究として疑われる恐れのあるものも一切行わない
(2)外国を含めて軍事関係から研究援助は受けない
(3)軍関係との共同研究は行わない、大学の施設を軍関係に貸さない、軍の施設を借りたりしない、軍の研究指導をしない2011年に作成された研究ガイドラインでも「一切の例外なく軍事研究を禁止している」としていたが、先の安倍政権の閣議決定をきっかけに、2014年12月に情報理工学系研究科の「科学研究ガイドライン」が改定され、条件付きだが“軍事研究解禁”となった。翌2015年1月16日付の産経新聞がスクープしたものだ。戦後、半世紀以上にわたって先人たちが守り続けた「軍事研究禁止」の大原則が、アッサリ転換させられてしまっていたのだ。恐ろしい話である。
しかし、さらに恐ろしいのが同書の最終章に書かれた「進む無人機の開発」という話だ。
いま、世界の軍隊では無人機導入が急速に進んでいる。自国の兵士の“安全確保”のためというのがその理由だが、一方で無人攻撃機によって多数の一般市民が犠牲となっているというから、なんともブラックな話である。無人攻撃機は兵士が安全施設にいながら相手を殺せる非常に恐ろしい兵器だ。当然、これまで日本の企業はそんな恐ろしい兵器の開発に手を染めていなかった。しかし、武器輸出に舵を切ったいま、逆に言うと、開発に遅れをとっているということになる。そこで、防衛省はいま、国民の知らない水面下で、あのイスラエルとの共同研究・開発を進めようとしているというのだ。
イスラエル国防軍は世界でも有数の無人攻撃機保有を誇っている。隣接するパレスチナ地区への空爆も、最近はほとんどがこの無人攻撃機によるものだといわれている。そのため、技術力もアメリカに次ぐ高度なものを保有し、海外輸出も積極的に行っている。
2014年6月にフランスのパリで開かれた国際武器見本市「ユーロサトリ」で、初代防衛装備庁装備政策部長であり、当時防衛省装備政策課長だった堀地徹氏がイスラエル企業のブースに立ち寄り、「イスラエルが開発する無人攻撃機『ヘロン』に関心がある」と伝え、密談に及んだという。同じ月、安倍晋三首相がイスラエルのネタニヤフ首相と新たな包括的パートナーシップの構築に関する共同声明を発表、防衛協力の重要性を確認し、閣僚級を含む両国の防衛当局間の交流拡大で一致した。
そして2016年8月31日には、防衛省が「将来無人装備に関する研究開発ビジョン 〜航空無人機を中心に〜」を発表し、日本が無人機開発に積極的に乗り出すことを表明した。このなかでは、たとえば〈諸外国の研究開発動向から、将来、航空機同士の戦闘において、作戦行動を支援する、あるいは直接戦闘行為を行う無人機の出現が予測されるが、そういった将来の質的環境変化に対応するためにも、技術的優越を確保していく必要がある〉と記すように、将来的な無人兵器による「直接戦闘行為」=戦争における殺害行為が前提とされている。
イスラエルが欲しいのは日本の先端技術だ。パレスチナ空爆で罪のない一般市民の犠牲を多数出しているイスラエルとの軍事協力については自民党内でも異論があるというが、安倍政権はおかまいなしに前のめりだ。もし本当に、イスラエルと共同で無人機の研究開発を進めることになれば、この地区で日本の技術が市民の殺戮に使われることになるのである。
日本人にその覚悟はあるのだろうか。先人たちが築き上げた「戦争には加担しない」という矜持を一政権がアッサリ捨て去っていいものなのか。望月氏は、最後にこの本をこう締めくくる。
〈2005年以降から膨張する世界の軍事費や武器輸出の状況を見れば、軍備の拡大が、世界の平和や安定とは懸け離れ、世界各地で勃発する紛争の火種になっていることは一目瞭然だ。それでも日本は欧米列強に続けと、武器輸出へ踏み込んだ。
戦後70年、日本は憲法九条を国是とし、武力放棄、交戦権の否認を掲げた。それらを捨て、これからを担う子どもにとって戦争や武器を身近でありふれたものにしようとしている。この状況を黙って見過ごすわけにはいかない〉(野尻民夫)
LITERA より転載 安倍の側近・北村内閣情報官の危険思想
安倍の側近・北村内閣情報官の危険思想
蓮舫問題も仕掛けた? 安倍が重用する“官邸のアイヒマン”北村滋内閣情報官は特高警察を称賛する危険思想の持ち主
2016.09.10
内閣官房ホームページ
官邸のアイヒマン──。首相官邸には、こんなあだ名で呼ばれている安倍首相の側近中の側近がいる。ご存知、総理直属の諜報機関・内閣情報調査室(内調)のトップ・北村滋内閣情報官だ。北村氏はもともと警察庁外事課長などを歴任した公安警察のエリートだが、第一次安倍政権時、首相秘書官に抜擢されたのをきっかけに安倍首相と急接近。警察と官邸のパイプ役として、日本版NSC立ち上げにも深く関わり、特定秘密保護法の法案策定でも中心的役割を担った。
第二次安倍政権で内調のトップに就任すると、北村氏はまるで安倍首相の私兵のような動きを見せ始める。
それまで、内閣情報官の首相への定例報告は週1回程度だったのだが、北村氏はほぼ毎日のように首相と面会し、菅官房長官を飛び越えて情報を直接伝えることもしばしばだという。しかも、内調は本来、国内外の情報を収集・分析するのが役割なのに、政権批判のカウンター情報や安倍政権の政敵のスキャンダルを流し始めたのだ。
「北村さんがトップに就任してから、内調は安倍政権の謀略機関になってしまった。古巣の公安のネットワークを使って、野党議員や政権の告発者たちの身辺を洗わせ、その情報を週刊誌や保守メディアに流すというのがパターン。たとえば、『週刊新潮』や『週刊文春』、産経系メディアには、担当の内調職員を配置していて、その職員がこれらのメディアの編集幹部と定期的に飲み会を開いて、情報をリークしているようです」(元内調関係者)
たとえば、最近では、民進党の山尾志桜里政調会長が安倍政権の保育園対策の不備を追及した直後、ガソリン代巨額計上問題がメディアを賑わせたが、これも内調の仕掛けだった可能性が高い。沖縄の翁長雄志知事に対するバッシング情報もほとんどは内調が情報源で、しかも「娘が中国に留学している」「人民解放軍の工作機関が沖縄入りして翁長と会った」といったまったくのデマ情報を流していたといわれる。
さらに、つい最近、民主党代表候補の蓮舫氏に二重国籍疑惑が浮上したが、これも大元の情報は内調だったのではないかと言われている。
今回、火をつけたのはアゴラと産経だが、この話はその前から、内調関係者がしきりに口にしていた。アゴラはともかく産経がここまで踏み込んだのも、内調のオーソライズがあったからだといわれています。北村さんが官邸と連携して仕掛けた可能性はかなり高いでしょうね」(全国紙政治部記者)
まさに「官邸のアイヒマン」にふさわしい暗躍ぶりを示す内閣情報官・北村氏だが、実は、その思想の恐ろしさを示すような事実が発覚した。
北村氏がもともと公安警察出身であったことは前述したが、2年前、その警察関係者向けに出版された専門書のなかで、戦前・戦中の特高警察、弾圧体制を生んだ法体系を高く評価していたことが発覚したのだ。
この事実を報じたのは、8月18日付のしんぶん赤旗。同紙は「秘密法強行主導の政府高官 戦中の弾圧体制 礼賛」との見出しを掲げ、北村氏が『講座警察法』なる本のなかで、〈太平洋戦争を「大東亜戦争」と表記したうえ、その勃発後は「その(外事警察の)影響力は飛躍的に拡大した」とのべ、国民を血の弾圧で戦争に動員した暗黒体制を礼賛しています〉と書いている。
官邸の諜報機関とも呼ばれる内調のトップが、戦前の言論弾圧を礼賛していたとすれば穏やかではない。早速,『講座警察法』第三巻(立花書房)に収められた北村氏の論文「外事警察史素描」を読んでみた。
くだんの論文はまず、このようにして始まる。
〈我が国が近代国家として誕生してから、外事警察は、国家主権といわば不即不離の形で発展を遂げてきた。本稿は、戦前・戦後を通じた外事警察の組織としての歴史的歩み、任務及び権限、現在直面する課題を素描することにより、いささかなりとも外事警察の全体的な理解に資そうとするものである。〉
いかにもエリート官僚的な書き出しだ。「外事警察」というのは、外国のスパイなど諜報活動やテロ活動など担当する警察の部門で、現在の公安部外事課(1〜3課)などが相当する。北村論文によれば、日本の外事警察は20世紀の訪れとともに成立したという。
〈明治三十二年は、日清戦争に勝利した我が国が、明治政府成立以来の悲願であった治外法権の完全撤廃を達成し、欧米列強に並び立つ独立主権国家として産声をあげた年であった。それは、同時に外事関係取締り法規が整備された年でもあった。〉
明治の終わりから大正にかけては、共産主義や社会主義運動を取り締まる特高警察が生まれ、主要府県に設置された。論文では〈外事警察が機能面で充実を図られたのは、大正六年のロシア革命を契機とする〉と記されているが、特高警察はのちに共産主義者だけではなく、翼賛体制を維持するために国民の反戦運動、いや、それだけでなく平和を訴える個人の手紙などへの取り締まりをも強化した。
しかし、北村論文では、特高警察が“思想警察”であり、言論や集会等を弾圧し、あるいは逮捕者を拷問死させていたという事実は、論文を最後まで読んでもまったく触れられない。
そして、論文の「大東亜戦争と対諜報」という小見出しにおいて、北村氏はこのように記述している。
〈昭和一二年七月に支那事変が勃発するや、我が国は、次第に本格的に戦争に介入せざるを得なくなり、近代船に対応する国内体制整備に迫られた。戦時における外事警察は、敵性外国人の抑留と保護警戒、俘虜及び外国人労働者の警戒取締りは勿論のこと、敵性国による諜報、謀略、宣伝の諸活動に対抗する防諜機関として国策遂行上極めて重要な任務を担うことになった。〉
〈更に、大東亜戦争が勃発した一六年一二月には、内務省令第三一号により、外国人が居住地道府県外に旅行しようとするときには居住地地方長官の許可を要すること、その他について更に厳しい制限が設けられた。さらに、外事警察は、他省庁や軍部とともに防諜委員会を組織し、各種施策の決定、国防安保法、軍用資源秘密保護法等の防諜法規の策定、国民の防諜意識の涵養等の事務を遂行し、その影響力は飛躍的に拡大した。〉こうした記述をもって赤旗が〈国民を血の弾圧で戦争に動員した暗黒体制を礼賛しています〉と評するのはもっともだが、これには少しばかり説明が必要だろう。『蟹工船』で知られる小林多喜二が特高警察の拷問によって殺されたことは有名だが、北村氏が述べる各種法規は、そうした特高警察の権限を強大にする後ろ盾となった。そして、北村氏が〈国民の防諜意識の涵養〉なる言葉で表現するものの実態は、庶民の私信の検閲を始め、自宅を訪問して調査するなど、徹底した思想弾圧体制であり、そこでは“でっち上げ”までもが日常的に行われていた。
敗戦末期、特高警察の一員として働いていた著者による『「特高」経験者として伝えたいこと』(井形正寿/新日本出版)という本がある。著者は当時の特高警察の「任務」をこのように記している。
〈当時の思想弾圧はすさまじいものだった。戸口調査といって、警察官が一軒一軒の家をまわって住民の思想動向を調べ上げ、社会主義者や朝鮮人についてはブラックリストを作成した。怪しい動きがあれば容赦なく逮捕して取り調べた。〉
あるいは、疎開先に家財道具を運ぶことができず、街頭で私物を販売していただけの庶民を逮捕し、「反戦思想」をもっているとして犯罪者に仕立て上げるようなこともあったという。
〈ある日、私の一年先輩になる特高係がその女性を署に連れてきて取り調べを始めた。「おばあちゃん、戦争さえなけりゃ、こんな疎開せないかんことないのにね」。女性はうなずいた。疎開しなければならない苦労から、自然にうなずいたのだろう。ところがそれを彼は、「反戦的な言動」として調書に記した。(略)つまり、戦争を批判したわけではないのに恣意的な尋問によって「自白」をつくりだしていたのである。〉
軍部だけではなく、警察組織もまた「天皇の警察」という権威のもと、ならず者めいた行為の数々をおこなっていたのだ。しかも、こうした“でっち上げ”は警察官が勤務評定を確保するために行われていたという。
北村氏は、こうした思想弾圧やでっち上げ、拷問を〈国民の防諜意識の涵養〉と表現しているのだ。これは戦中の警察による庶民の恐怖支配を肯定しているとしか考えられないだろう。
さらに北村氏は、戦後、特高警察や治安維持法が廃止されたことに関しても、「占領期における空白」との章で〈防諜、国体護持、治安維持のための作用法はことごとく消滅した〉として、このように述べている。
〈一方、終戦直後の国内治安情勢は、国民的目標の喪失感に伴う道義の頽廃、食糧難、住宅難及びインフレーションと失業による極度の生活難等から、一般犯罪は多発の一途を辿った。就中、昭和二〇年一〇月一〇日、総司令部の指示によって獄中にあった徳田球一を始めとする共産党指導者が釈放されて以降、労働運動やその他の大衆運動は急速に活発化した。そして、これらの大衆運動は、戦争による破壊、一部無責任な扇動分子の跳梁、国民生活の窮乏等を反映して集団的不法行為を続発させるに至った。〉
つまり、治安維持法がなくなり、特高警察がなくなったから不法行為が頻発した、などと無茶苦茶なことを言っているのだ。
続けて北村氏は、〈騒然たる治安情勢に対応して〉内務省に公安課が置かれたとするのだが、しかし戦後直後の国民の窮状と混乱が他ならぬ軍部主導の戦争にあったこと、そして、大衆運動が再興したのは警察組織による戦中思想弾圧の反動であったことなどが、ここでは完全にネグられている。
そしてなにより、サンフランシスコ講和条約発効の年である1952年に〈我が国の独立とともに再生した〉とする外事警察(=警視庁公安部等)は、まさに、戦中の特高警察の焼き直しに違いなかった。とりわけ冷戦時代が終わり、共産主義や過激派の衰退とともにその一義的な存在理由をなくしていった日本の公安警察は、予算や人員確保のために監視対象を様々に拡大していったが、これも、戦中の特高警察が勤務評定のため“でっち上げ”逮捕を行っていた事実とよく似ている。
いずれにせよ、北村論文が如実に語るのは、いまや安倍首相の片腕であるエリート警察官僚が、戦中の言論弾圧体制を一切批判することなく、むしろノスタルジーに浸っているかのように、大衆運動や思想の取り締まりを渇望していることなのだ。
いや、これはいち官僚がアナクロな戦前回帰の意思を持っているというだけの問題ではない。冒頭でも触れたように、いま、北村氏と内調は、安倍政権の政治的謀略機関と化している。
そして、北村氏の出身母体である公安警察と官邸の結びつきもこれまでにないくらいに深まり、安倍政権が目指す市民の監視、言論弾圧などの体制は、警察ぐるみで加速度的に進んでいるのだ。
たとえば先月、先の参院選で当選した民進党議員らの支援団体が入居する大分県の建物の敷地内に、大分県警が選挙期間中に監視カメラを設置して人の出入りを録画していたことが判明した。
例の自民党のホームページ上に設けられた「学校教育における政治的中立性についての実態調査」なる“密告フォーム”の問題もそうだが、ようするに安倍政権は、側近中の側近である北村氏の内調─公安ラインを駆使し、警察ぐるみで市民の思想・言論や集会結社の自由を抑圧しようとしている。
安倍政権が行き着こうとしているところは、北村論文が示しているように、戦前・戦中日本への無反省と憧憬からなる“警察国家”以外にない。「危機管理」や「機密」なる警察用語に騙されない。安倍政権が束縛しようとしているのは、ほかならぬ私たち国民の自由な思想と良心、そのものなのである。
(編集部)
雨宮処凛のブログより
共同通信2016年7月30日配信
差別の芽ないか心配ろう 「命」二重基準まかり通る
作家・活動家 雨宮処凛
叔母がこの事件を目にしなくて、よかった。
事件の第一報を聞いた時、思った。今年6月、肺がんで亡くなった叔母は、長らく障害者の権利向上を求める運動に携わってきた。それは自らの娘が知的障害を抱えていたからで、私のいとこにあたるHちゃんは十数年前、20代の若さで短い生涯を終えた。
身体は健康だったのに、たまたま風邪の菌が脳に入ったとかそんなことで、急激に体調が悪化。救急車を呼ぶものの「知的障害の人は受け入れられない」と病院に拒否された。自分の状況を説明できないからだという。
結局、翌日に受け入れ先の病院が見つかった時には既に手遅れの状態で、数日後に亡くなった。
今回の事件では、19人の命が失われた。あまりにもむごく、今でも信じられない思いでいる。同時に、報道などで繰り返される「かけがえのない命」「命は何よりも大切」という言葉にうなずきながらも、ふとした違和感も覚える。この社会は、果たして本当に「命」を大切にしてきたのだろうかと。
「ああいう人って人格があるのかね」「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」
この発言は1999年、東京都知事になったばかりの石原慎太郎氏が障害者施設を訪れた際に発した言葉だ。
一方、今年6月、麻生太郎副総理は高齢者問題に触れ「いつまで生きるつもりだよ」などと発言。また、2008年には「たらたら飲んで食べて、何もしない人の医療費をなぜ私が払うんだ」という発言もしている。
「かけがえのない命」と言われる一方で、その命は常にお金とてんびんにかけられる。費用対効果などという言葉で「命」は時に値踏みされ、いかに利益を創出したかが人の価値を計る唯一の物差しとなっているかのようなこの社会。
ちなみに、これまで障害者の事故死などを巡る裁判で、彼らの逸失利益(将来得られたはずの収入など)は「ゼロ」と算定されるケースがままあった。重度障害者の場合、「働けない」とされてしまうからだ。逸失利益ゼロが不当として提訴した障害者の母親は「生きている価値がないのかと屈辱的だった。働くことだけが人間の命ではない」と述べている。
この国には、このように、命に対するダブルスタンダードがまかり通っている。
軽く扱われているのは障害者の命だけではない。「健常者」だって過労死するまで働かされ、心を病むまでこき使われ、いらなくなったら使い捨てられる。その果てに路上にまで追いやられた人を見る人々の視線は、優しいとは言い難い。
事件から3日後、犠牲になった方々が生活していた津久井やまゆり園を訪れた。山を切り開いたような住宅街の中、緑に囲まれたのどかな場所だった。容疑者の住む家はそこからわずか車で5分ほど。深夜、容疑者はどんな思いで車を走らせ、施設に向かったのだろう。コンビニさえ辺りにない寂しい集落で、彼の悪意はどのように熟成されていったのだろう。
「死刑になりたかった」のではない。「誰でもよかった」のでもない。彼は衆院議長への手紙で「日本国と世界平和のために」とまで書いている。
痛ましい事件が起きた時だけ「命は大切」と言うのはもうやめよう。日頃から、社会が、そして政治が、私たち一人一人が命を大切にする実践をしなければならない。「稼いでいない者」をお荷物扱いするような言説を見つければ声を上げ、自分の中に、近しい誰かの言動の中に差別やヘイトクライムの芽がないか、心を配ろう。
最後に。容疑者の手紙の言葉に対して全メディアにもう少し配慮した報道を望みたい。新型出生前診断が注目されたころ、あるダウン症の子どもは「自分は生まれてこないほうがよかったの?」と口にしたそうだ。
そんなこと、誰にも言わせてはいけない。
保阪正康/『戦艦大和ノ最期』から私たちがいま学ぶべきこと〜その"言霊"を読み解く
2016年08月16日(火)
『戦艦大和ノ最期』から私たちがいま学ぶべきこと〜その"言霊"を読み解く
敗れたがゆえに生まれた文学
保阪正康(ノンフィクション作家)
「生者」と「死者」の言葉
吉田満さんの『戦艦大和ノ最期』について語るに当たり、前提として二、三、まず押さえておきたいことがあります。
一つは、昭和12年(1937)の日中戦争開戦から、昭和20年(1945)の太平洋戦争終結に至るまでで、もっとも多く戦場で亡くなったのはどの世代なのか、ということです。
詳しい統計はありません。私はいろんなかたちの取材で、多くの戦場体験者に話を聞いてきたのですが、大正11年(1922)生まれと大正12年(1923)生まれが戦死者のピークであろうと思います。とくに大正11年生まれが多い。
彼らは昭和17年(1942)、太平洋戦争が始まった直後に、20歳で兵隊検査を受けています。『戦艦大和ノ最期』の著者である吉田満さんは大正12年1月6日の生まれで、多くの大正11年生まれと同じ学年です。
この世代は、戦争で大勢亡くなっていると同時に、もっとも戦争の本質的なことを語っています。戦争末期に没した学徒兵の文章を集めた『きけ、わだつみの声』には、74人分が収録されていますが、そのうち大正11年、12年生まれのものが、半分ぐらいを占めるのではないかと思います。
『きけ、わだつみの声』に、上原良司という慶応大学経済学部の学生の遺稿があります。特攻で死ぬ彼は、出撃前日に書き残した所感のなかで「私は自由主義者である」と言っている。
また、枢軸体制のこのような国家が戦争で勝つことはありえない。残念だけど日本は負けると思う、と明言しています。
一人の自由主義者が、明日死んでいく。その後ろ姿は淋しいけれど、心中満足で一杯である、というようなことも言っている。もちろん、いろんな意味に解釈しないといけませんが。
あるいはフィリピンで亡くなった竹内浩三という詩人がいます。彼は大正10年生まれで、『戦死やあはれ』という詩を遺しています。
戦死やあはれ
兵隊の死ぬるやあはれ
とほい他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や
この年代で亡くなった人たちが書き遺したものには、生者と死者の区別がない印象があります。生者は死者であり、死者は生者であり……。
上原良司は特攻隊で死んだ。竹内浩三もフィリピンで死んだ。誰々も輸送船が沈められて太平洋に眠っている。誰々の遺言はある、誰々の遺言はない……。
いま、ここで挙げたのは死者の遺した言葉ですが、同時に生者が引き継いだ言葉でもあるのです。生者の言葉と死者の言葉には、この年代に関してはほとんど壁がなく、回路ができていると思うのです。
私が最初に『戦艦大和ノ最期』を読んだのは高校時代です。こんなにリズムを持った文章で、壮大な叙事詩が歌いあげられていることに感じ入り、大正12年生まれの人が、歴史に位置づけられてしまった宿命を感じました。
戦争を知るということ
冒頭で申しあげた前提の二つ目は、戦争を知るとはどういうことか、もう一度考えるということです。
戦争とは政策の失敗だ、と私たちは簡単に言います。たしかに軍事や政治の指導者の失敗ではあるのですが、その時代に巡りあわされて、兵隊という立場に置かれてしまった人たちの声を汲み取る必要がある。
手紙などの“語り”を遺して死んだ人もいれば、語らずに、あるいは語れずに死んだ人も無数にいるわけです。戦争を知るということは、戦争のメカニズムを知るということだけではなく、戦争という時代に巡りあわせた人たちが発した言葉と、言葉を発せずに22歳や23歳で死んだ人たちの言葉を、汲み取る力があるかどうかだと、私は思います。
なぜ20歳そこそこの青年が、鉄砲を担いで中国に行って、あるいはニューギニアに行って、フィリピンに行って、戦争をしたのか。彼らは何を思っていたのか。彼らを戦場に行かせた指導者たちは、なにを要求したのか……。
メカニズムと感情、時代の空気をきちんと伝えないと、私たちはほんとうに戦争を語ったということにはならないと思うのです。
私は、日本だけではなくて、アメリカやイギリスやオランダや中国やソ連など、いろんな国の戦場体験者に話を聞いてきました。そういう体験を通して、戦争を語るということはどういうことなのか、私なりに理解したのです。
あたりまえの常識的な感覚で、昭和10年代の日本の戦争指導が誤りだったことを指摘します。三点あります。
一つ目、軍事が政治をコントロールしたということ。
第二次世界大戦時、そういう国は日本以外にどこにもなかった。ソ連のスターリンやドイツのヒトラーは、ひどい指導をしました。ですが、軍事は政治がコントロールするというのが常識だった。
第一次世界大戦のヨーロッパでは、あらゆる新兵器が用いられ、1000万人以上の兵士が死んだ。軍人は放っておくと最後まで戦争をするから、政治家がそれをコントロールしなきゃいけない、というのが連合国、枢軸国側とも共通認識としてあったわけです。それが日本では逆転していた。軍事が政治をコントロールしたのです。
二つ目、日本は特攻や玉砕という、「十死零生」の作戦を用いました。
100人の兵隊がいれば100人みんな死ぬ。そういった作戦を遂行したのです。こんな作戦をおこなった国は、日本以外にどこにもありません。
これは20世紀の国家としては恥ずかしいことです。こういう戦争をおこなった責任というのは、政治や思想の問題ではなくて、文化への挑戦であるという実感を、私たちは持たなければいけないと思います。
三つ目は、国際条約を無視したことです。
昭和4年(1929)に、捕虜の待遇改善に関するジュネーブ条約が締結され、日本も署名をしました。しかし批准はしなかった。
昭和16年12月に太平洋戦争が始まり、アメリカは中立国のスイスを通じて、ジュネーブ条約の遵守について照会しました。
そのとき、日本の軍事指導者はどういう答えを返したか。
われわれの国はこの条約を守ることによって、なんのメリットもない。つまり日本兵は「戦陣訓」(昭和16年1月示達)にあるとおり、捕虜になる前に玉砕してしまうから、捕虜の待遇を改善されても、恩恵を受ける者はいない。しかし私たちは、アメリカ軍の捕虜は守ってあげよう、ジュネーブ条約を守ってあげようと、まさにとんちんかんな回答をします。
こういった国際条規の基本的な理解ができてなかったということは、恥ずべきことです。
この三点は、やはりきちんと押さておかなければなりません。
軍事指導者の人間観
戦争とは「人間に値段がつく」ことです。たとえば特攻隊で亡くなった兵士は、陸海軍合わせて3900人ぐらいいます。その7〜8割は学徒兵や少年飛行兵です。なぜ彼らが最前線に行ったのでしょうか。
私は昭和50年代に、軍事指導者を訪ね歩いて聞きました。「どうして学徒兵や少年兵が特攻隊で出撃したのか? 海軍兵学校出も陸軍士官学校出もいるじゃないか? 専門にパイロットの養成を受けたエリートがいるじゃないか?」と。
もちろん誰も答えません。しかしある“親切”な軍事指導者が、「どうして海兵出や陸士出が、そういう作戦に携わると思うか。国は彼らにいくら金をかけていると思うのか」と、答えてくれたのです。
私が「では、学徒兵や少年兵には、金をかけていないからいいのですか」と問いなおすと、「それはしかたないだろう」と言う。人間に値段がついて序列化される。イヤだとか悪いとかではなく、これが戦争の宿命なのです。
もう一例を挙げれば、昭和20年8月6日、広島に原爆が落とされました。翌日、広島近郊の旧制中学、高等女学校の学生は、全員広島に入って死体の処理をしなさいと言われた。当然、第二次被曝が起きます。
私は先ほどの軍事指導者に「広島からそう離れていない呉には、海軍兵学校の元気な学生が4000人もいたのに、なぜ彼らが広島に行かなかったのですか」と聞く。
すると彼は、「そりゃ君、彼らはエリートだよ。そんなことで殺すわけにはいかないだろう」と答えたのです。
私たちの国の戦争のなかに潜んでいる、そういった基本的な考えかたを、まずきちんと知る必要があります。
乗組員三千何百人がもつドラマ
これまで話してきたようなことを踏まえたうえで『戦艦大和ノ最期』を読むと、私がこれまで申しあげた問題にたいする答えが、ずいぶん書かれています。
もちろん吉田満さんは、答える意図で書いたのではなく、現実を書いているわけですが、書かれた現実は、すべて問題への答えになっています。
吉田さんは一人ひとりの学徒兵、海軍兵学校出の将校、下士官や水兵、いろんな人物像を書き残しています。それを私が言った図式にあてはめると、みごとに説明がつきます。
いくつかの感動的な話を、本書のなかで吉田さんは描写しています。たとえば14ページから16ページにかけて、中谷少尉の話が出てきます。彼は日系アメリカ人二世なのですが、ある夜、ハンモックで嗚咽している。吉田さんがどうしたのかと聞くと、一葉の紙片を差し出す。
中谷少尉は慶応大学留学中に、学徒兵として召集されるのですが、二人の弟はアメリカ軍に入って戦っている。
兄弟が敵味方に分かれて戦っている状況のなか、中谷少尉はアメリカにいる母親から、中立国のスイスを通じて、ようやく届いた手紙を持っている。
手紙には「お元気ですか 私たちも元気で過してゐます ただ職務にベストを尽して下さい そして、一しよに、平和の日を祈りませう」と、書かれてある。その万感籠められた、簡潔な手紙を読んで泣いているのです。そして吉田さんも「言葉モナク」ハンモックに上るのです。
吉田さんは、戦艦大和の乗組員三千何百人の、一つひとつのドラマを、可能な限り拾っている。そのドラマをトータルで俯瞰していくと、私がさっき言った問題意識に全部くくられていくと思います。
では、そういった話のなかに、何が見えるのでしょうか。
相容れない死生観
本書の一つの山場とも言える、海軍兵学校出身者と学徒兵の間で起きた、殴りあいに発展した激論。この議論は、46ページから48ページにかけて書かれています。
この議論の本質は、死ということにどんな理由、意味付けがあるのか、ということです。
学徒兵は、単に天皇陛下の命令で死んでいくという「神話」のなかには入りたくない。もっとなにか、自分たちには死んでいく「理由」や「大義」があると考える。そういうものをもっと知りたいし、もっと意味づけをしたいし、もっと考えたいと思う。
しかし軍事教育一本槍できた海軍兵学校出の士官たちは、そんな「理由」や「大義」は必要ないと考える。「国ノタメ、君ノタメニ死ヌ ソレデイイジャナイカ ソレ以上ニ何ガ必要ナノダ」、「天皇陛下万歳ト死ネテ、ソレデ嬉シクハナイノカ」と、反論する。
私はここに本質的な問題が表れていると思います。永久の問いかけが発せられていると言ってもいい。
戦前・戦中の海軍兵学校には、優秀でなければ入れません。しかし基本的に彼らの死生観は、天皇陛下の命令のもとで死んでいくということ以外にない。これが、日本の軍事学なのです。
しかし学徒兵たちは違う。天皇のために死ぬことは否定しないが、その他になにかが必要だと。
戦艦大和の乗組員以外の、学徒兵の遺文などからも推し量れば、彼らは死んでいくために、なにかもう一つ理由づけを必要としていた。たとえば母や家族を救うとか、あるいは抑圧されている東洋の人たちを救うとか、自分の生命が代置されるなにかが必要だと。その意味付けがほしいということですね。これが旧制中学→旧制高校(高等専門学校)→大学へと進む一般の教育です。
同じ世代で、両者とも優秀なのでしょうが、けっして同質のかたちで、死というものを共有しているわけではない。だから、どちらが正しいか、議論が昂じて殴りあうのです。
合わせ鏡の向こう側
その場面を読み、私たちが図式化することは簡単です。「一般社会の知性と、軍隊という特殊社会の単純さとの対立からくる暴力」などと。
しかし、本質はそういう話ではないと思います。
たとえば吉田満さんが海軍兵学校に行っていたら、そちら側の論に立つはずです。帝国大学に行っていたから、こちら側の論に立つのです。立場の境目などというものは偶然です。だから彼らは殴りあうのですね。自分を見ているわけです。
そこを読みぬくと、この吉田さんの書いている「遂ニハ鉄拳ノ雨、乱闘ノ修羅場トナル」というのは、ある意味で殴りあいながら悲しい思いをしていることが分かります。自分を見ているのだとわかります。
戦場でもっとも愛するのは敵、とよく言われます。敵も自分と同じような立場で、同じような恐怖心を抱き、戦場に出てきて、そして撃ちあい殺しあうわけですね。
ですから本当は、敵味方で兵士の心は通じあっている。
しかし国家と国家が衝突したとき、彼らは命をお互いにぶつけあう体験をしなくてはならない。一方で、たとえば捕虜になった瞬間、彼らは親友のように語りあったというケースがいくつもあります。
ある状況のなかで自分はこちら側にいる。しかしそちら側にいる人間というものも自分なのだということを想像することができる。戦争というのはそういう深遠なものを背負っています。自分は相手のなかに自分を見、相手もまた自分のなかに相手を見ているのです。
戦場で戦っている兵士たちが、さまざまな相のなかに自分を幾重にも見るのだということが、『戦艦大和ノ最期』を読むとよくわかります。溺れる人がいる。船が沈められますからね。悲しそうな下士官の水兵の目がある。それも吉田さんなのですね。吉田さんはいろんなところに出てきて、見て書いているのです。
敗れたがゆえの立脚点とは
私たちの国は太平洋戦争でひどいことをしました。負けて、みじめな思いもしました。
しかしこのことは重要なことで、負けたがゆえに私たちの国の文化の総点検を、人生観も死生観も含めて問いなおしができたのです。
その問いなおしをするための教化本、教育本というのが、大正11年生まれ、大正12年生まれの将兵による戦争文学に多いのです。20代前半の清新な感覚で書かれた文章のなかに、多くの示唆が入っている。
吉田満さんの文章はその集積庫であり、最大のものが先に紹介した殴りあいの部分に前後した臼淵磐大尉の言葉です。
「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ
日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ、本当ノ進歩ヲ忘レテイタ 敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」
この言葉についてはいろんなところで、いろんなかたちの語られかたをしていますので、読んだ人はいろいろ思うこともあるでしょう。
しかし、もし日本が戦争に勝っていたら、こういう言葉は遺りません。こんなことを書いたら、袋叩きに遭います。戦争に勝つということは、そういうことなのです。
私たちは戦争に負けることによって、大きな文化の再点検、この国の歴史の総ざらい、そういうことができたのです。総点検をできるかどうかは、戦争文学を読む私たちの姿勢に委ねられています。
私は、『戦艦大和ノ最期』を読むといまでも涙が出ます。特攻隊で逝った人たちの文章を読んでもそうです。しかし、涙で終わらせていいのかということですね。
彼らは一身を賭しました。戦争のための要員として生まれてきたのではないかと言いたくなるくらい、戦争に振りまわされて生き、死んでいった人たちです。
日本が敗戦国になったからこそ、彼らは貴重な証言を後世に遺した。
そのことを、『戦艦大和ノ最期』をはじめとする戦争文学から読み取れるかどうかというのは、現代に生きるわれわれ自身に課せられた分析や共感の能力と、歴史的な主観の問題だと思います。
1939(昭和14)年、札幌市生まれ。同志社大学文学部社会学科卒業。「昭和史を語り継ぐ会」主宰。昭和史の実証的研究のために、これまで延べ4000人に聞き書き調査を行い、独自の執筆活動を続けている。2004年、個人誌『昭和史講座』刊行の功績で第25回菊池寛賞受賞。主な著書に、『東條英機と天皇の時代』(ちくま文庫)、『瀬島龍三-参謀の昭和史』(文春文庫)、『昭和史七つの謎』(講談社文庫)、『昭和陸軍の研究』(上下、朝日文庫)、『あの戦争は何だったのか』(新潮選書)などがある。近刊は『歴史なき「歴史観」』(河出書房新社)。
リテラ より転載・・・防衛相・稲田朋美の軍国主義丸出し発言
防衛相に抜擢された稲田朋美の軍国主義丸出し発言集!「祖国のために命を捧げろ」「後に続くと靖国に誓え」
2016.08.02
稲田朋美公式サイトより
小池百合子の都知事就任につづいて、悪夢のような人事が決定した。明日3日に行われる内閣改造で、稲田朋美・現自民党政調会長の防衛相起用が確実となった件だ。稲田氏といえば、本サイトでも繰り返しお伝えしているように、自民党きっての極右議員。しかも、“命を捨てて国を守れ”と繰り返し口にしてきた人物だ。
「国民の一人ひとり、みなさん方一人ひとりが、自分の国は自分で守る。そして自分の国を守るためには、血を流す覚悟をしなければならないのです!」(講演会での発言)
「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」(「WiLL」2006年9月号/ワック)
「祖国のために命を捧げても、尊敬も感謝もされない国にモラルもないし、安全保障もあるわけがない。そんな国をこれから誰が命を懸けて守るんですか」(「致知」2012年7月号/致知出版社)また、稲田氏は06年9月4日付の産経新聞で、『国家の品格』(新潮新書)で知られる藤原正彦氏の「真のエリートが1万人いれば日本は救われる」という主張に同意を示しながら、こんなことを訴えている。
〈真のエリートの条件は2つあって、ひとつは芸術や文学など幅広い教養を身に付けて大局観で物事を判断することができる。もうひとつは、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない〉
靖国に行って人殺しの戦争に参加することを誓うべきと語り、さらに国のために命を捧げるのが「真のエリート」だと言い切る──。こんな考えの持ち主が防衛相として自衛隊を統督すれば、隊員に徒死させることも厭わないだろう。
まさに、いちばん防衛省のトップにさせてはいけない危険人物がその座に就くことになったわけだが、稲田氏が恐ろしいのは“徴兵”にも前のめりである点だ。
たとえば、稲田氏は「正論」(産経新聞社)2011年3月号で元空将の佐藤守氏と対談しているのだが、そのなかで佐藤氏が「日本独自の核保有を、単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべき」と主張。すると稲田氏は徴兵制にも高い関心を示し、佐藤氏が現状では必要ないと言っているにもかかわらず、こう重ねたのだ。
「教育体験のような形で、若者全員に一度は自衛隊に触れてもらう制度はどうですか」
「「草食系」といわれる今の男子たちも背筋がビシッとするかもしれませんね」教育体験として自衛隊に入隊させる制度などというのは、徴兵のための第一歩というべきもの。しかも、昨年も「女性自身」(光文社)15年11月10日号のインタビューでこう述べている。
「でも、たとえば自衛隊に一時期、体験入学するとか、農業とか、そういう体験をすることはすごく重要だと思います」
「(自衛隊体験入学は)まあ、男子も女子もですね」現在、防衛省は安保法制の影響で自衛隊への応募数が減少していることから、入隊を前提にした奨学金制度を検討するなど「経済的徴兵制」に本格的に乗り出そうとしている。そんななか、一貫して「自衛隊体験入学制度」を主張してきた稲田氏がトップに立てば、さらに“隠れ徴兵制”の流れが強化・加速することは間違いない。
しかも、憲法改正については、稲田氏は安倍首相以上に危険な発言を繰り返してきた。たとえば、現行憲法を〈どこの世界に自国を自分で守らないと宣言する国があるでしょうか〉と批判し、〈前文で書かれるべきは、日本という国が神話の時代から連綿と連なる歴史を保持し、四海に囲まれた自然豊かな風土を持つ日本が、どのような国を目指すべきなのかという理想が語られるべきです〉(渡部昇一監修『中国が攻めてくる!日本は憲法で滅ぶ』総和社)と述べている。これは、改憲をめざす極右団体「日本会議」が、〈前文には、建国以来2千年の歴史をもつ、我が国の美しい伝統・文化を謳いあげましょう〉(憲法啓発チラシより)と訴えていることと一致する主張だ。
実際、稲田氏は、日本会議関連の講演会にも登壇。さらには、両親とも宗教団体「生長の家」の創始者・谷口雅春氏の思想の影響を受けていると講演で語っている。本サイトでも既報の通り、日本会議は元・生長の家信者が中心を担っており、そういう意味でも稲田氏の考えは、日本会議の思想と極めて親和性が高いといえる。
現に、先月発売された『日本会議の正体』(平凡社新書)では、著者であるジャーナリスト・青木理氏のインタビューに稲田氏が応じ、「私は生長の家の信者ではありません」と話す一方で、「谷口雅春さんが書いた『生命の実相』の〈生活編〉にある〈背水の陣を布け〉という文章にすごく感動して、司法試験を受ける時などにコピーして持っていったほどだったんです」と語っている。
さらに、稲田氏は「結果的に安倍総理の思想信条と、日本会議が進めようと訴えられている政策と、一致しているところが多いとは思います」と明言。青木氏が稲田氏のことを「日本会議が相当期待している存在ですね」と尋ねると、このように述べている。
「期待されているかは分かりませんが、そういう意味では(政策などの)方向性は一緒だと(日本会議側には)思われているでしょう」
青木氏はこうした稲田氏の発言を〈党の政策を立案する政調会長という立場上、必死でオブラートに包んだ物言いに終始したのも間違いない〉と記している。しかし、そのように“本音”を隠しても、稲田氏は日本会議的な草の根運動に近いかたちで極右思想を培ってきた“本気”の人物であることはたしかだ。
前述したように谷口雅春氏に影響を受けていたという稲田氏の実父は、現在、日本最大級の極右活動団体「頑張れ日本!全国行動委員会」の京都府支部相談役を務めているが、稲田氏は過去に自身の“目覚め”について、こう語っている。
「(子育て中に)東京裁判に関する文献を読んだり、主人の取っていた『産経新聞』や雑誌『正論』に目を通していくうち、東京裁判が裁判と呼ぶに値しないことがはっきりしてきて、愕然としたんですね」
そして稲田氏は、「正論」の読者欄に投稿したり、「新しい歴史教科書をつくる会」の創設者・藤岡信勝氏が主宰する歴史修正主義団体「自由主義史観研究会」に入会するように。それがきっかけで「百人斬り裁判」に参加することとなった稲田氏は、自民党の若手議員の会で講師を務めたところ、安倍晋三本人から「次の選挙があったら出てもらったらどうだろうか」と声がかかった。ちなみにこのとき稲田氏は、出馬するべきかどうかを、日本会議の現副会長である小堀桂一郎氏に相談したという。
本人も「私は産経新聞がなかったらたぶん政治家になっていなかった」と断言しているように、「ネットde真実」ならぬ「産経メディアde真実」というネット右翼と変わらない出発点から、あれよあれよと将来の首相候補まで登り詰めた稲田氏。だが、ネット右翼と同様、稲田氏は、産経メディアで学んだ歴史修正主義や日本会議的な復古主義を身につけると同時に、排外主義を振りかざすヘイト団体とも距離を縮めてきた。
事実、今年3月11日にヘイト市民団体「在特会」(在日特権を許さない市民の会)と稲田氏の“蜜月”を報じた「サンデー毎日」(毎日新聞出版)を名誉毀損で訴えた裁判で、稲田氏側が全面敗訴。司法にヘイト勢力との親密ぶりを「真実」と認定されたばかりだ。
この敗訴の問題ひとつ取っても大臣としての資質自体に疑問があるが、しかし、こうした極右思想と実行力の持ち主だからこそ、安倍首相は稲田氏を政治家に引っ張り上げ、自分のあとを担う首相候補として目をかけ、可愛がりつづけているのだ。つまり、稲田氏の防衛相起用は、今後、集団的自衛権行使に踏み切って中国や北朝鮮と軍事的に対峙し、中東で戦闘行為に参加したいという安倍首相の狙いがあるのだろう。
だが、繰り返すが、「祖国のために命を捧げろ」などと公言する稲田氏が防衛相に就くことは、まさに戦前回帰以外の何物でもない。極右の防衛大臣という恐怖の人事を生み出してしまった安倍政権は、一体どこまで暴走しつづけていくのだろうか。
(編集部)
憲法をわかりやすくhttp://consti.web.fc2.com/index.htmlより転載
三、立憲主義と現代国家-法の支配-
1 近代立憲主義から現代立憲主義へ |
時代は流れて1789年、フランス革命が起きてフランス人権宣言がされました。市民革命ともいいます。
ここで近代的な立憲主義、つまり近代立憲主義が誕生しました。
近代立憲主義とは個人の自由・権利を守るために憲法で権力者を拘束する、という考え方です。
しかし、この近代立憲主義には欠点がありました。
個人が自由を獲得し自由に競争できる自由資本主義の時代になったまでは良かったです。
しかし、産業革命も影響して、資本家は資金をつぎ込んで富を獲得し、そうでない者は労働力を提供することとなります。
すると貧富の差ができてしまいました。富める者はさらに富み、貧しい者はさらに貧しくなり・・・、
という具合に近代立憲主義の欠点が浮き彫りになってきます。
そこで20世紀になって誕生するのが現代立憲主義です。
現代立憲主義とは近代立憲主義の欠点である人々の経済的格差を是正するため、人権に社会権を加えたものです。
社会権とは労働基本権や生存権などのことです。労働基本権とは使用者(資本家)に対して立場の弱い労働者の権利を保障するものです。
生存権とは人間として最低限度の生活をする権利を保障するものです。
こうして現代立憲主義は格差の生じた社会で経済的弱者の自由を図っています。
2 「法の支配」と「法治国家」 |
立憲主義と同じく私たちの生活の基本となっている憲法の重要な点が法の支配です。
法の支配とは国家は人が支配して治めるのではなく、正しい法によって支配され治められるべきである、という考え方です。
法とは憲法のことです。
日本国憲法も法の支配の考え方を採用しています。
法の支配の考え方を採用している根拠となっている条文を紹介します。(97条、98条、31条、81条)
憲法は基本的人権の尊重を目的としている。
憲法は最高法規制性を有している。
憲法は適正手続の保障をしている。
憲法は裁判所の役割を重視している。
法の支配とは異なる法治主義という考え方もあります。
法の支配とは国家は人が支配して治めるのではなく、正しい法によって支配され治められるべきだ、という考え方でした。
法治主義も同じく、法によって支配され治められるべきだ、という考え方です。
しかし、法治主義は法律の内容の適正さは要求されません。たとえどんな悪法であろうと、法律なら従わなくてはならなかったのです。
立憲主義をわかりやすく解説
立憲主義をわかりやすく言うと、憲法どおりに権力を使う主義 ということ。
日常で行使されている政治権力などが、ちゃんと、
憲法に基づいて行われているものなのか を問うのが立憲主義のスタンス。
要するに、「国家権力の正統性は憲法にある」というのが立憲主義の基本的な考え方。
・つまりは憲法次第で・・・
立憲主義は、国家権力が憲法どおりに行使されているならばOKという
考え方を持っている。
それは、裏を返せば、「憲法どおりなら、何やってもOK」という
極端な言い方もできる。
基本的に国の憲法は、正義と善性に基づいて作られている。
少なくとも日本国憲法は、そういう思想を元に作られている。
そういう場合は、立憲主義はとても良い方向に働く。
しかし、某国のように、憲法そのものに独裁的で独断的な
思想と方向性があるならば、立憲主義は途端に危険な方向へと
国を傾かせていく。
まあ、そういう国の場合は、立憲主義などとは呼ばれないが。
・憲法の解釈に落とし穴
憲法が正義と善性に基づいて作られている場合は、
立憲主義は善い方向へ働くが、一つ、大きな落とし穴がある。
それは憲法の解釈。
憲法の解釈次第によっては、国家権力があらぬ方向へと向くことも
十分にあり得る。
2015年に日本の国会で可決された集団的自衛権の行使は、
まさに憲法の解釈を若干変えたことによって実現したもの。
アメリカおよび世界の安全事情を考えると、
日本も憲法9条の戦争放棄のスタンスを維持したままでは、
日米安保条約をいつ切られてもおかしくない状態になっていたのかもしれませんね。
「同盟国がやられてるんだから、お前も助けに来い。」
という、人間同士ならば理解できる話も、国同士の話となると事情が変わってくる。
今の日本は、憲法9条の戦争放棄が足かせとなっていて集団的自衛権を行使できない。
となると、憲法改正が必要になってくるが、日本の世論がそれを許さない。
そこで出た案が、憲法解釈を変えようというもの。
世論と野党からバッシングと妨害を受けながらも、強行採決によって
憲法解釈が変えられ、ついに集団的自衛権の行使法案が可決した。
この件に関しては、合憲ではなく違憲なのではないかとも思える。
いくら憲法が正義と善性に基づいて作られたとしても、
その解釈が変えられれば、
国の在り方まで大きく変わってしまう可能性がある。
iRONNA編集部より転載・・・「障害者を抹殺せよ」の衝撃
「障害者を抹殺せよ」の衝撃
「私は障害者470人を抹殺することができる」。相模原市の障害者施設で入所者19人を殺害したとして逮捕された植松聖容疑者は、常軌を逸した身勝手な誇大妄想で尊い人命を次々に奪った。凄惨な事件の背景にあるのは、障害者に対する偏見と差別。事件が与えた衝撃を私たちはどう受け止めるべきか。
この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。私は障害者総勢470名を抹殺することができます。常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。文責 植松 聖作戦内容
職員の少ない夜勤に決行致します。重複障害者が多く在籍している2つの園を標的とします。見守り職員は結束バンドで見動き、外部との連絡をとれなくします。職員は絶体に傷つけず、速やかに作戦を実行します。2つの園260名を抹殺した後は自首します。
作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。新しい名前(伊黒崇)本籍、運転免許証等の生活に必要な書類。美容整形による一般社会への擬態。金銭的支援5億円。
これらを確約して頂ければと考えております。
ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。日本国と世界平和の為に、何卒よろしくお願い致します。
想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。植松聖(住所、電話番号=略)かながわ共同会職員
愛国、右翼思想の行き着く先
あまりに論外で理不尽だが、この手紙の内容は、記録されなければならないだろう。相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」の19人死亡するなどした事件で、殺人未遂容疑などで逮捕された植松聖容疑者(26)が、大島理森衆院議長に渡そうとしていた手紙の内容は、安倍首相の進める愛国心や右翼思想が、時に、過激な宗教と同様の現象を引き起こし、テロや暴力的に暴発する可能性を示している、と思う。植松容疑者の行った今回の大量殺傷事件は、単なる殺人事件というよりも、その動機だけ見れば、ローンウルフテロの色彩が濃厚であり、だからこそ大量殺りく事件が敢行されたともいえる。世界を見れば、昨今のISやISに触発されて引き起こされたテロ事件や、EUや米国の、右翼思想に触発されたテロ事件との親和性すら感じさせる。愛国心や右翼思想の行き着く先は、米国大統領候補のトランプの思想を見るまでもなく、そもそも排外主義や排除の論理と結びつきやすく、その過熱化は危険である。現にナチス政権は、このような過程でこそ、成立し得た。安倍首相や、愛国心や右翼思想を論じる人たちは、真に日本を愛するなら、その思想の行き着く先が、テロや暴力容認の危険思想にも通ずる危険性があることを十分に自戒すべきである。そうでないと、今のままリミッターなく、愛国心や右翼思想が語られると、論者や識者がたとえ暴力容認ということではなくても、欧米にみられるように、第2、第3の今回のような「テロ」が誘発される可能性がある。(弁護士、紀藤正樹ブログ2016.07.27)
つぶやき館より転載・・・21世紀の日本にナチス「安楽死」プログラムを蘇らせた日本の右傾化
21世紀の日本にナチス「安楽死」プログラムを蘇らせた日本の右傾化
2016/07/28 23:24
「犯罪とは社会を写す鏡」とは陳腐な言葉であるにせよ、津久井やまゆり園の大量殺人事件で容疑者が明確にナチスの優生思想、安楽死プログラムの思想を意識しての犯行であることが明らかになりつつある。 政治状況が日本会議という極右団体と政権、さらに自民党との一体化が顕著になり、「ナチスの手法に学べ」という麻生太郎元総理の発言、実際、憲法を無効化する閣議決定、さらに緊急事態条項の改憲という、まさにヴァイマール憲法の悪夢ともいうべき状況が到来しようとしている「ナチ流ファシズムの流れ」が日本で加速している。 根底にはあまりに露骨なまでの「ナチスの手法を真似る」政権与党がある。 T4計画ではないが、ナチスは幼児を容赦なく「科学実験」の犠牲にした。「ナチスの手法を真似る」など言語道断であろう。
実際、この1941年9月はユダヤ人政策転換の重要な時期であり、アウシュヴィッツ強制収容所では初めてチクロンBによる殺害の実験が始まり、また貨物自動車の密封された車体に排気ガスを導入し、一酸化炭素での殺害装置がT4の成果を受けて製造された。
なおT4計画自体は、すぐ再開され、ユダヤ人などの大量虐殺に同化して「この世に無用なもの、アーリア民族には不要なもの」として1945年まで抹殺され続けたのである。 |
つぶやき館より転載
2016/07/30 13:27
日本会議直系の小池百合子都知事という最悪は既定事実 つぶやき館/ウェブリブログ
先日、日本会議の中でも重要なテーマ別団体の「新しい教科書を作る会」が「東京都知事選挙で小池百合子候補を支持します」とそのサイトで声明を発表した。 日本会議の中のテーマ別団体の中でも「新しい教科書を作る会」は非常に重要な存在であり、日本会議の小池百合子支持は明確である。 日本会議の戦略である地方自治体から国政へ、という方法からしても東京都知事を日本会議国会議員懇談会副会長だった小池百合子にしておくことはこの上ない意味があるのである。 まして東京都の公立学校での教科書選択にはさらに右翼的教科書が採択されることは確実な情勢となった。日本会議直系というなら石原慎太郎も日本会議代表委員でより以上、直系だがもう「過去の人」というわけであろう。 いずれにしても日本会議支配、・・・地方自治体から国政、政権まで、まさに着々と侵攻しているといえる。東京都の公立学校は、君が代、日の丸などで締め付けが全国的にも厳しいが、今度は小学校も朝礼の跡、全員、君が代斉唱になりかねない。 大阪で生じている日本会議系の教科書が採択される可能性も高い。数年前、在特会後援の演説会にも出ていた小池百合子である。民族差別感情の高まりを支持に結び付けている以上は、民族の融和は不可能であろう。
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