茅ちゃん日記

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つぶやき館より転載「神社本庁の大罪ー、日本会議の中核の目指すもの 」

は勝手にわたしがつけた小見出しです!

 

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神社本庁の大罪ー、日本会議の中核の目指すもの  

        作成日時 : 2016/03/16 11:52  

 

 

日本会議は右翼の総結集♢

 

 日本の戦後史はある意味で、右翼闇帝国の歴史である。右翼には神社本庁から1960安保で岸信介が国会に暴力団を取り込んだことによる暴力団系の右翼団体新右翼生長の家などの宗教団体、生長の家日本青年協議会、さらには民間テロ右翼の赤報隊など数え切れないが、1997年の成立した日本会議にあらゆるジャンルの右翼は総結集している。

 

 いわば日本会議は日本の右翼の集合体である。その中核は神社本庁生長の家の系統の日本青年協議会であろう。神社本庁神道政治連盟として政治力行使の豪腕を振るうと同時に、日本会議の中心的存在でもある。具体的な行動は日本青年協議会が行なっているとみられる。

 神道政治連盟国会議員懇談会の会長は安倍晋三である。小選挙区制度の導入や小泉による自民党をぶっ壊す!の辣腕で旧来の地盤、支援団体を失った自民党のあらたな最大の支援団体として躍り出たのが日本会議であり、その中核の神社本庁である。

  

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♢そのめざすものは、「天皇一神教による祭政一致の神政国家を再び樹立すること♢
 日本の右翼の目指すもの、神社本庁から新右翼(多くは宗教団体がバックにある)から暴力団系の右翼団体、民間右翼まで目指すものはいたって単純であると思われる。

端的に言えば明治時代に創宗された国家神道=近代天皇制=天皇教を国家原理とする、いわば明治の狂気に由来するファシズム国家の再現に尽きる。天照大神神武天皇を皇祖神とする「天皇一神教による祭政一致の神政国家を再び樹立することである。したがって明治以来、敗戦までの国の政策を顧みれば全てはその再来を目論んでいることが明瞭となる。

天皇教、一神教の狂気に全てを委ねるという精神構造である。

 

♢「天皇性」と思い込まされているものは、明治政府のねつ造である国家神道

 日本人が「天皇制」と思い込んでいるのは、要するに明治政府が神政国家の本質として創宗した『天皇教』のことであり、これは国家神道、近代天皇制と同義である。近代神政国家の本質としての「天皇教」など江戸時代までの日本には、そもそも全く存在するはずもなく江戸時代までの皇室祭祀は少数の宮廷関係者が関与するのみで民衆は全く無縁であった。民衆は天皇を知るはずもなかったのである。

一転、明治以降は皇室祭祀が大幅に増強!され、国民行事化されて天皇教の神政国家の国民教化の手段として利用されるようになったのは現在に引き続いている。神社は皇祖神一神教と定義された天皇教の国民教化の場となり、たびかさなる外征戦争で天皇教は戦争神として利用されるにいたり、神社はひたすら江戸時代までの伝統もかなぐりすてて、国家の神政国家政策に盲従する戦争推進機関となった。

 

神社本庁は戦争教として利用された歴史を反省することなく戦後レジュームを♢

 神社本庁はその歴史を一切反省することなく、明治政府の天皇教、一神教と軍事的性格の再現を目指して政治活動に血道を上げているのである。いまなお天皇教を本旨とする神政国家における神道の絶対的特権の夢に神社本庁が幻惑されているのだ。

♢江戸時代までは伊勢神宮も、民衆にとっては農業神としてお参りする神社♢

 明治以降の国家権力は「天皇の存在形態は明治以降の『天皇教』であった」と民衆に思い込ませることに腐心してきた。江戸時代までの民衆はあらゆる皇室祭祀からも行事からも完全に遮断されてきた。民衆は天皇を知らず意識もしなかった。明治以降はこれが一変したのは国家の政策としての、それまでにはなかった天皇教のためである。伊勢神宮天皇を知らず、意識もしない民衆にとっては農業神としてお参りする神社であった。明治以降は、『伊勢神宮は皇祖神を祀る神社』として天皇教の中枢神社として設定
された。2016伊勢志摩サミットも神社本庁(神道政治連盟)、日本会議の影によるものである。

♢途中で変異した宗教は過激化しやすい♢
途中で著しく変異した宗教は過激化しやすい、という例はイスラム過激主義もあるし仏教では日蓮正宗が挙げられよう。国家神道天皇教も天皇という存在の著しい変異が明治政府によて行われたことを意味し、それらと共通点がある。日本の右翼はすべてこの「途中で変異した天皇の存在形態としての天皇教」によって狂信化したのである。旧来の穏便な神社もこれと同じ影響下になる。戦後なお、神社本庁が過激化した宗教としての天皇教にとらわれるのも、あながち理由のないことではないかもそれない。歴史の中途における宗教概念の過激化は狂信化すると同時に『瞬時の洗脳』が『永続化』するという特質を持つ。明治における日本国民の洗脳はその典型例といえよう。

天照大神(さらには神武天皇)を『皇祖神』として崇拝し、現天皇を神とする皇祖神一神教を国民に押しつけてどういう国にしようというのか♢

 天照大神(さらには神武天皇)を『皇祖神』として崇拝し、その代々の天皇、現天皇は神であるという。この意味での一神教を右翼勢力はおしなべて主張しているのは分かるとして、ではその皇祖神一神教を国民全体が国家的規模で崇拝する神政国家というのはどういう法体系、法制度の国となるのがいいと考えているのか、である。

皇祖神一神教にいささかの疑いを持ったり誹謗したりしたら即座に不敬罪に問われ、近代天皇制=近代天皇教のもと、家族制度はそれに応じた家父長的な制度を持つ民法が生活を規定する?それこそ明治民法であるから、この復活を目指すのか?宗教上は絶対的「神」である天皇が慈悲にあふれる家父長的性格を持つという家族国家的イデオロギーが支配する国、・・・・とうわけだろうか。神社本庁神道政治連盟神社本庁が中核を占める日本会議が新しい家族制度、女性の法的立場の革新に徹底的に反対し、政治を実際に動かしてきたのは「皇祖神一神教の近代国家神道の要求する家父長的な家族制度」への盲信があるからにほかならない。

 明治政府は全国の在来の神社をその独自の沿革、伝統を無視する形で「皇祖神」を祀る伊勢神宮を最高位とすべく「再編成」を行なった。神社本庁が戦前、明治以来の国家神道(=近代天皇制=天皇教)により一神教祭政一致の神政国家の再現を窮極の目的としていることは明らかであり、当然、「伊勢神宮を全神社の中心とする」と定めている。伊勢神宮天皇家の祖廟として崇拝するというのは全て明治以降のことである。

 敗戦直後はさすがに神社が国家神道(=天皇教)の教化の場となり、戦争神と化してしまった天皇教によって国民を戦地に送り込む武運長久を祈る場としての戦意高揚の道具化した神社を反省する考えも皆無ではなかったが、すぐに神社勢力は戦前の明治政府による国家神道神政国家の再現を目指す運を開始したのである。

 明治において創宗された国家的宗教、国家神道すなわち近代天皇制=天皇教は当初から軍人勅諭、教育勅語において軍事的性格が極めて強く戦争神ともいうべきであったが、日清、日露戦争でそれは確定し、皇祖神の子孫現人神である天皇の名における戦争は聖戦とされ、絶対的な正当性を持つものとされたことは歴史を見れば分かる。いかなる批判、詮索も命さえ奪われかねない弾圧の対象であった。神である天皇の名による戦争は「神国」の行う戦争いであり、天皇の軍である皇軍は何をやろうと悪はなさず、であった。このことは現在にいたり、日本の起こした戦争、日本軍の行為を指弾する行為に対し、反日という罵倒が浴びせられるというのも、天皇教国家という考えに基づくものである。明治以降、戦前の神社は戦争のために存在したと言って何の過言でもない。

 全国各地の大小を問わず、すべての神社では戦勝祈願、氏子の出征兵士に対する武運長久祈願がなされ、神社は戦争によって氏子との結びつきを強めた。神社が明治以降、極度に軍事的性格を強め、それまではなかった戦勝祈願、武運長久祈願という宗教的機能を獲得した。

  戦後、神社勢力は公的な根拠を失い、表向きは「国家神道(=天皇教)」の教化、流布、天皇教の敷衍である外征戦争戦意高揚を行う場ではなくなった。

だが明治以降、敗戦までの神社の戦争の栄光ともいうべき記憶は消されるどころか、その再現を目指す強力な政治運動を行うにいたったのである。

ほぼすべての神社を加盟させる民間宗教団体として神社本庁は発足した。だがここでも神社本庁はそれぞれの神社の独自性を尊重するのではなく、またしても明治専制政府にとる国家神道(=天皇教=近代天皇制)を推進し、その再現を目指す国家的な政治宗教団体に方向を定めた。

神社は何ものをも学ばず、また何一つ忘れていなかったのである。

 通常、日本人は地元の神社を参拝したとき、それが国家神道。近代天皇制を教化する場とは思いにくいであろう。だが、神社本庁にほぼすべての神社は加盟しており、天皇一神教伊勢神宮絶対化が、しょせん根底となっている現実があるわけである。古事記日本書紀を神典としてその内容をすべて歴史的事実とした明治政府は、天孫降臨をはじめとする神話に政治的意義を付与し、一切の疑問を禁止したが、そもそも実在が明確に否定されている神武天皇、さらにその前の実在の是非の意義すら希薄な天照大神という神話上の「存在」を皇祖神として現代社会において絶対化する下記の神社本庁の文章はあえて反論の必要すらないだろう。論議以前のフィクションであり、まさしく神話である。

 『神社本庁憲章の解説』(1980年)の第二条においてこう述べている。

 「八百万の天神地祗のなかで、天照大神が至尊の神であらせられ、神宮が天皇御親祭を本義とされることは記紀によっても明らかである。また古語拾遺にはその御神徳を、

 天照大神は惟れ祖惟れ宗にましまして、尊きことニ無(ならびな)く自余の諸神は乃ち臣にましまして孰れが能く敢て抗(あた)らむ」

いうまでもあるまい。明治政府の「創宗」による国家神道、皇祖神一神教伊勢神宮を最高位の神社と絶対化するまさしく何も学ばず、何も忘れていないー思想である。

  戦後。神社本庁が画策したものとして

不敬罪復活  紀元節復活  剣璽宇御動動座  靖国神社国家護
元号法制定  国旗・国歌の法制化  

更に訴訟への介入として津地鎮祭訴訟
最近では皇室典範改正による女系天皇阻止運動
靖国神社におけるA級戦犯分祀阻止
選択的夫婦別姓の導入阻止
憲法改正の運動

 紀元節復活は建国記念日として実現し、ここに神社本庁は公的な行事の運営機関として復活したといえる。


 要するに神社本庁はその政治団体である神道政治連盟により、きわめて露骨で活発な政治運動を展開し、さらには日本会議の中核となって現実の政治のさらなる支配を謀っている。その思想は単純である。明治以来の近大天皇制、天皇教による神政国家の統治形態の再現に尽きる。戦争神の性格を帯びた近代天皇制を何ら反省することもなく、安保法推進の運動展開したことも周知のとおりである。

 自民党において従来の派閥均衡のちから関係が崩れ、「ぶっこわされた」ことの結果としてその間隙をついた神道政治連盟日本会議自民党支配である。この危機的状況を国民は厳しく注視すべきであるが、新聞も放送もアンタッチャブルなテーマとして決してコメントさえしない。

 神社本庁が目指すもの、・・・明治政府の創宗になる皇祖神一神教による絶対的な神政国家の再現、神社の特権的地位の復活であるといえる。決して国民にとって望ましいものではあり得ない。近所の神社も加盟しているとおもえば正直、不快な気分にならざるをえまい。

 全国の神社の90%以上が加盟する神社本庁ではあるが、その神社本庁全国のそれぞれの神社の独自の伝統、沿革を尊重し、謙虚で健全なる神道の発展に資する、という姿勢は皆無であり、国家権力が明治に創宗した国家神道、すなわち近代天皇制すなわち天皇教の狂信の復活を試み、それを実現すべく天皇教的ファッショ体制の構築を政治を支配することで図るという、悪の道に邁進していかなる反省すらないことは言語道断というべきであろう。

 自然への謙虚な感謝を捧げるという神道本来の姿を忘れ、醜悪な近代ファシズムの道具となった歴史の汚点を再び日本にもたらそうと神道政治連盟を駆使し、日本会議の中核ともなっての理非をわきまえぬ神社本庁の所業は神(皇祖神!ではない)も許さぬ非行の極みである。戦争の惨禍を我がこととして思いやる人間性の一片すら持たず、宗教団体でありながら政治にうつつを抜かし、戦死者を英霊として神社のいわば、経営資源としか本音で見ない非人間性の愚行を限りなく連鎖させようとする歴史の汚点は人類史最大の汚点と称すべきである。

神社本庁は自らの戦争責任を一切問われることも自ら問うこともなく、戦前の狂信的な神政国家における特権的地位を懐かしみ、戦前の国家体制の再現を意図する神道政治連盟日本会議での活動を悪びれることなく行なっていることは断じて許されることではない。その罪は限りなく重い。

まさしく神社本庁の大罪なのである。