茅ちゃん日記

世の中のこと、思うことをつづります

ルポ・インドネシアの津波被災地 子供たちを襲うトラフィッキング=人の密輸=危機を追う 岩波書店「世界」より

 

 ルポ・インドネシア津波被災
    子供たちを襲うトラフィッキング=人の密輸=危機を追う

                                                                           (岩波書店「世界」掲載)

 約三十万人の人命を奪ったスマトラ沖地震津波。二十世紀以降、未曽有といわれる天災によって、新たな人災が懸念されている。いわゆるトラフィッキング(trafficking=人の密輸)の危機が子供たちを襲っているのだ。
 奇しくも三大被災地のインドネシア、タイ、スリランカは、子供の人身売買市場として、国連児童基金(ユニセフ)はじめ国際機関・団体が厳戒していた地域である。強制的な労働・性的搾取、さらに臓器売買――魔手は、肉親を奪われ、孤独のどん底にある子供たちに忍び寄っている。
 国際社会から人身売買の加害国と指さされる日本にとって、トラフィッキングは人ごとではない。今年は人身売買法も制定される。一体、黒い市場はどんな動きなのか、最大被災インドネシア現地と周辺国に、その実態を追った。

【深い傷を負う中、復興への活気】
 三万五千人もの孤児が発生したスマトラ島アチェ州北端の都市バンダアチェ。いまだ収容し切れぬ遺体と酷暑による腐臭、感染症拡大の恐れ、被災者のトラウマ(心的外傷)などによる治安の乱れ……様々な情報と憶測におののきながらの現地入りだったが、意外に空気は乾き、街の再建にかける人々の活気が伝わる。
 バイクの修理屋とガソリンスタンドに列ができ、フルーツや菓子の屋台が日に日に増えている。新規開店のスーパーは夜遅くまでにぎわっていた。道端にマットレスやレンガを重ねて売る姿は、復興イラクでも見られた光景だ。発生から二カ月、深い悲しみを胸の奥深く抑えこみつつ、人々は再び立ち上がろうとしているのだ。
 しかし、一歩町中を出ると、痛ましい傷跡に遭遇する。現地の案内役は、長野県上田市の自動車修理工場で〇二年まで三年間働いたモジュさん(二十五歳)。彼もまた兄と妹を亡くした被害者である。一人住まいの自宅のすぐ近くまで津波が押し寄せたが、危うく難を逃れた。彼の自宅に泊めてもらい、友人の車で三日間、市内をつぶさに見て歩いた。
 「ひと目見て、広島、長崎を直感した。それに比する惨状ではないか」と、特定非営利活動法人「国境なき子どもたち」代表ドミニク・レギュイエさんに東京・新宿の事務所で聞いていたが、まさにその言葉を裏付ける破壊力だ。
 パサール・アチェ、ランプロー、ウレリュッ、カジュ地区など住民の大半が犠牲になり、廃墟化した地区を回った。住宅街は一面、焼け野原のように瓦礫化している。目につく遺体は運び出されたが、その下には、まだいくつも残されている。雨期を過ぎ、地面は干からびつつあり、このまま白骨化を待つのか。五キロほど郊外の墓地に行った。
 ココナツの木と国旗の下に、赤土のさら地が広がる。墓標も何もない。五メートルほど土を掘り、遺体を土葬、五十センチの土をかぶせ、遺体を重ねた四段積みの墓地である。「五万五千人が埋められた」と管理人は言う。そんな墓地がいくつも郊外にできた。
 破壊美と表すると不謹慎だが、自然の驚異は様々な奇妙な光景を作り出している。魚市場の埠頭から一キロ以上もある民家の庭先に乗り上げた漁船。その手前にはぽつぽつ住家がある。大波に乗って、屋根の上を滑ってきたのだ。家の柱や骨だけを残して家財道具一切を吹き飛ばし、ガラス窓は残って、屋根のトタンが潮風に不気味な音を立てている。島の西端の岬近くには、石炭を満載した巨大鉄鋼船が山裾に居座っていた。
 ウレリュッ地区の海辺には、子供のサンダル、リボン、家計簿、カーテンなど、幸せだったはずのクリスマスの日を偲ばせる遺品が泥中にまみれて散乱し、目抜き通りの商店街はゴーストタウン化している。
 住民一万二千人の九割が死亡したカジュ地区で、自分の背丈ほどの家を建てる少年に出会った。両親と妹の四人で暮らしていた。三人は波にさらわれた。基礎のタイルだけが残るわが家に、赤瓦を並べ、板きれを釘で打ち付けて住処を作っている。辛くても生きていくしかない。夜はモスクで寝て、学校に通う。大学の先生だった父を尊敬する。このミニホームから夢を作るのだ、という。
 枯れ葉で穴が埋まったトイレに放り投げられた財布にはコインの一個もない。一万五千ルピア(二百十円)を入れると、少年は何度も何度も手をあげて、「トゥリマ カシッ(ありがとう)」と発するのだった。
 病院の診察受付はどこも鈴なりの人だかりだ。家財道具も何も失って、知人友人宅に居候しあっており、モジュさんの家にも三人が居着いている。

【狙われる地区】
 人身売買は、こんな不幸の底を漁るように黒いシャベルのツメでさらっていく。ラムロームという地区に連れていかれた。ここは、人身売買ブローカーが、ひそかに標的として狙っているところだという。なぜかーー色白の西洋人的な顔立ちの子が多く、美人の産地として知られているのだ。植民地時代のポルトガル系の血が継がれ、青い瞳の子も目立つという。
 アジア財団日本事務所シニア・プログラム・オフィサー玉井桂子氏(人身売買禁止ネットワーク運営委員)が語っていた。「色白の子ほど人身売買市場で高値になる。フィリピンのビサヤという街もスペイン系の娘が多く、長年、搾取の対象になった」と。
 海に近い一帯は壊滅状態で、孤児も多数出て、山の斜面の避難キャンプで生活をしている。一月早々、ブローカーたちがかなりうろつき回ったらしい。大人たちは子供についてばかりいられない。家が全壊し、仕事を失った。手をつけるべき作業が山ほどもある。孤児には、親戚を装って、近づいてくる。一人でたたずんだりしないよう、大人たちで確認しあったという。
 幸い、学校に被害がなかった。授業が再開されると、安心感は倍増する。しかし、危機は去らない。バンダアチェの街は今、すさまじい物価高に襲われている。仕事がない。米、牛乳、牛肉、ガソリン、パン、コーラなど食料、飲料、生活雑貨品のすべてが、津波前より三―五割値上がりした。元々、貯蓄などない。失業によって、家計はじわじわと苦しめられる。人身売買は、貧困の上に成り立つブラックビジネスだ。ブローカーは巧みな語り口で、威厳たっぷりに養育に困る親に近づく。
 「子供だけは、幸せにしてあげなさい。もうバンダアチェは立ち直れない。ここで苦労させるより、豊かな家で楽しい人生を送らせてやるべきだよ」
 「シンガポール、香港、日本……誰だってあこがれるだろう。これを機に学習と就労の機会を考えなおすべきだ」
 孤児救援活動をする北スマトラ大の学生から聞いた証言だ。モスクなどでは、生き残り住民の再登録が行われている。そこに子どもの手を引いて、家族と偽って登録する者がいる。涙をこぼして芝居する者もいる。津波は一切の証明書を押し流した。本当の親であっても証明は難しいのだ。

 

 

ルポ 子供たちを襲うトラフィッキング危機を追う 第2回

【事件頻発】
 子供の拉致問題が顕在化したのは、発生から一週間あまり経ってからだった。国連児童基金(ユニセフ)が一月四日、「バンダアチェから首都ジャカルタに連れて行かれた子供の行方がわからず、メダン市(東六百キロの同国三番目の都市)に避難した孤児五十人も空港で行方不明になった。スリランカでも九十人の子供が消えた」との情報を公表、緊張が一気に高まった。
 ユニセフ駐日事務所筋も、メダンで男女二人が関係のない子供を連れていたため、警察当局に拘束された事件を確認した。一月七日付朝日新聞夕刊は「二十人以上の被災孤児が行方不明で、組織的にさらわれた可能性が強い」との地元紙の報道を掲載、AFP通信なども「三歳から十歳までのバンダアチェの子供三百人が営利目的でマレーシアに連れて来られた」などと報じた。バンダアチェのマタイ地区では、七、八百人の子供の行方がわからないとの未確認情報もあった。
 事件の舞台は、病院と空港が圧倒的に目立つ。町中には、病院、役所、モスク、学校、商店の壁という壁に、子供のコピー写真が貼られている。子供の視線に高さをあわせたものが多い。可愛い顔立ちの子が目立つ。この街の居住域はわかりやすく、二カ月あれば戻れるはずだ。亡くなったのか、連れ出されたのかーー生存の目撃談がありながら消えた子もおり、肉親は、塗炭の苦しみである。
 三万五千人とされる孤児を守るため、目に見えぬ敵といかに戦うかーー。官民一体となった戦いが進む。インドネシア政府は、養子縁組の禁止を発令、子供(十六歳以下)のアチェ州外渡航禁止措置、軍と警察を動員、州境、空港・港などの警戒を強化した。中長期的には、ケアハウス設置、教育・就労機会のあっせんなども視野に。日本政府もケアハウスへの経済支援を決めた。
 ユニセフのほか、「セイブ・ザ・チルドレン」「インドネシア・フォスター・ペアレント」など民間の支援団体も避難キャンプを巡回、子供の顔写真と身上データなどを集めて電子登録するなどしている。厄介なのは、実際に親子離ればなれになった人々の再会作業もあわせて行わねばならないことだ。
 「セイブ・ザ・チルドレン」のインドネシアスタッフ、アンダヤ・アブラマンさんは「一人の子に十人の親や親戚が名乗りを上げる異常な状態だ。特に、混乱が目立つ病院に悪者が集まりやすい」という。どんな方法で、「本物」をかぎつけるのか。「子供はどこの店で、いくらの駄菓子やガムを買い、店の主はどんな顔か。どこで、どんな遊びをして、何時ごろ帰るか」などを両方に尋問し、さらには、両者から写真を提供させ、百数十枚の写真の中から一枚を選び出させるなど綿密に照合したうえ、方言テストなどを行う。
 しかし、地元バンダアチェでは、情報が錯綜し、拉致された子供たちがどうなっているのかなど実態がもう一つ明瞭でない。動きが水面下に潜っている。あるNGO幹部がささやいた。
 「メダンだ。スマトラ最大の都市メダンはバンダアチェへの乗り継ぎ港でもあり、陸の孤島バンダアチェはその経済圏内にあり、ヒントはそこにあるのではないか」
 メダン市は人口二百万人、北スマトラ州の州都だ。一九〇〇年代、たばこ、ゴムの大型プランテーション開発で発展、今も国際商品市場として知られる。そこで、被災者の支援活動も行う日系二世JAMHARIL・HARUO・UMEDAさん(梅田治男、五十三歳、日本語学校経営)に出会った。
 梅田さんの父は特攻隊の生き残りで、今、メダンのインドネシア軍人英雄墓地に眠る。梅田さんは、被災者のトラウマ(心的外傷)解消のため、国内のカウンセラー四十人を引率して、二月中旬、バンダアチェでテントに寝泊まりしてボランティア活動をした。
 「ジュアル(人) ブリ オラン(売買)は、深刻な問題だ。富裕層の慈善の思いが重なって、簡単に養子縁組を許す風習があり、人身売買は偽装しやすい」と指摘する。彼に連れられて、民間支援団体「アチェ・スパカット基金会」をたずねた。ドクターのハウジ・ウスマン氏が一九六八年に設立した福祉団体だ。事務所は移転し、そこは、津波被災者の臨時保護施設になっていた。ロスナ会長夫人が応対してくれた。取材の趣旨を話すと、彼女は突然、庭で遊んでいた一人の少年を連れてこさせた。ロスナさんが口を開いた。
 「この子に笑顔が戻ったのは、ほんの数日前です。実は、ブローカーの男に連れ去られて、転々とした後、運良く我々の手で保護されたのです。この子は恐ろしい体験をして、カウンセリングによって、やっと立ち直りつつあります」

 

 

ルポ 子供たちを襲うトラフィッキング危機を追う 第3回

【人身売買、少年の恐怖の体験と証言】
 その証言は、衝撃的であり、初めて明らかにされる事実である。
 少年は、ラマトヒダヤ君(九歳)という。バンダアチェマドラサ小学校に通う三年生だ。父親は、教師をしつつ、画家だった。父は津波の前々日、クリスマス・イブの日に沖合に出て海の絵を描いている時、誤って海中に転落死し、その土葬を二十五日に済ませた翌日、津波に襲われ、今度は、母親と妹を失ったという。家族三人は、その時、家にいた。母娘は崩れた石垣の下敷きになって死亡し、ラマトヒダヤ君は海に流されそうになったが、樹木につかまっていた、という。
 泣き崩れて助けを待っている時、「あごにひげをはやし、腕や肩に入れ墨をしたおじさんが近づいてきて助けてくれた。それから黙って手を引っ張って、そのまま連れて行かれた」という。もちろん顔見知りではない。家族を一挙に失った少年は、何をどうすべきか思慮する余裕もなく、言われるままについていった。少年は、賢そうな表情を浮かべ、きちんと勉強もこなす中産階級の子に見える。証言にあいまいさがなく、具体的なのだ。
 向かった先はバンダアチェ空港だった。「おじさんと一緒にガルーダ航空に乗った」という。どこ行きなのかもちろんわからない。連れていかれた所が、シンガポール国境のバタム島と知ったのは飛行場の文字を見てらしい。
 「入れ墨を見るたびに、怖くて何もできず、黙って言うことを聞くしかなかった」
 ラマトヒダヤ君はそうつぶやいてうつむく。見知らぬ人にあめ玉をもらってもついていくような子供には見えない。
 「翌日から物貰いをさせられた。港から離れ、工場や会社、レストランがあるところで、一日中、乞食をさせられた。朝五時に起き、六時に外に出ると、夜まで町中を歩かされ、金を集めた。一日で六万ルピア(約八百四十円)を集めたけれど、千ルピア(十四円)しかくれなかった」
 ストリート・チルドレンにさせられたのだ。さらに、驚く事実を少年は明らかにした。
 「子供は三、四十人いた。僕たちは薄汚い小屋に押し込められて寝たんだ」
 「バラバラでどこからか連れてこられた。マレーシアの子供もいた」
 バンダアチェから拉致され少年は、ほかにも何人もいた可能性が強い。人身売買シンジケートの存在を浮かび上がらせる証言である。
 「逃げようとしなかったの?」
 「夜、寝る時に横にいた少年に一緒に逃げようと誘われたけれど、見つかったら、どうなるかわからないからできなかった。乞食の最中も見張りがいた」
 ラマトヒダヤ君は、結局、一カ月以上をバタム島の小屋で乞食して過ごした。ある夜、入れ墨の男とラマトヒダヤ君は、埠頭わきから中古の小型船に乗りこんだ。船は暗い海を滑り出した。少年の小さな胸中はいかばかりだったろう。船は一晩中、走り続けた。
 夜明け前、港に着いた。そこがメダンのベラワン港だったことも、下船後、知った。そこで、別の男に引き渡されたが、一瞬のスキを見て、逃げた。交番近くで、声をかけられ、その人がスパカット基金会に連絡、ラマトヒダヤ君は、二月初め、ここに来た。
 少年の行動を観察していると、無邪気にじゃれまわる反面、突然、ソファに沈み込んで、ふさぎ込む姿が周期的に見られ、家族を失ったトラウマがひどいことが感じとれる。その小さな手を握ってあげた。父親は画家だったのだ。教師でもある。本当なら、この子には輝ける未来があったかもしれない。tsunamiはその未来を一瞬のうちに奪い去り、孤独に耐える人生を押しつけたのだ。命が助かり、人身売買の魔手から逃れたことを、不幸中の幸いと胸をなで下ろすにも、むごすぎる幼い転機ではないか。
 ロスナさんは「学校に行かせてあげること、今、いちばんそれが重要です。メダンの学校に入学する手続きを始めたところです」
 ラマトヒダヤ君にたずねた。
 「学校に行けるんだって。行きたいかい?」
 こっくりとうなずいて、微かに微笑んだ。その暖かな小さな手はまだ離されていなかった。
 男はなぜ、ベラワン港に戻ったのか。それを探るべく港に向かった。市街地を抜け、車は北に向かった。四十分ほどで港に着いた。工業港の埠頭が一キロ以上続く。そこを走り切ると、客船埠頭がある。マレーシアやシンガポール行きの高速艇が停泊していた。運搬船らしい中古船もいる。埠頭で雑談していた船舶修理業者や警備員の男たちに、ラマトヒダヤ君の件を持ち出してたずねてみた。男たちは意外なことを言った。
 「沖合二キロの海上に、ジャルマールと呼ばれる漁業基地がある。ジャルマールは、スマトラ沿岸各地にあり、昔からそこでは子供たちの強制労働があるんだ」
 基地で網を仕掛けた後、かかった魚の網を引き、水揚げする。さらに、その場で天日干し、袋詰めにして出荷する作業が行われているが、そこでは売られてきた子供たちが働かされ、しばしば問題になるという。この数年、取り締まりが厳しくなったため、目立たないが、沖合はるか彼方での海上労働だから、監視の目は行き届かない上に、目こぼしなど癒着も囁かれ、強制労働は残っているのでは、という。
 話を聞きながら、アフガン国境に近いパキスタンペシャワールのトラック修理工場をかつて訪ねた時のことを思い出した。そこでは、おとなたちに混じって、小学生ほどの子供がペンキの塗装作業をしていた。どの顔も疲れ切って、暗く沈んだ顔だった。
 ネパール・ポカラの居酒屋でもたくさんの子供が働いていた。「よく親の手伝いをする子だ」と感心していたが、それが貧しい農山村から売られ、学校にも行かずに働かされると知って、がく然としたことがある。

【トラフィッキングの島】
 ラマトヒダヤ君の証言は、重大な事実をいくつも明らかにした。まず①人身売買のブローカーらは、津波で大量の孤児が発生した直後から暗躍し始めたこと②空港や港などを堂々とパスしており、密航船の存在とインドネシア当局の水際作戦が功を奏していないこと③三千を超すマラッカ海峡の島々が、売買の通過ルートという情報の裏付け④子供たちが転売されているらしきことーーなどだ。
 これらから導き出される結論は、大量の子供売買がかなり早い段階から行われたとのユニセフの警告通りだったということだ。同基金会のムクタル・ヤコブ副会長は「我々自身が警察に突きだした容疑者も何人かいる。津波の混乱に乗じて、活発になっており、根気強く取り組まなければ、悲劇をなくすことはできない」と語った。
 人身売買ルートの一端がかい間見えてきた。少年がストリート・チルドレンを強いられるバタム島に行ってみなければならない。少年少女はそこに集められていたのだ。そこは最終目的地ではない。アングラマネーの世界でいう「マネー・ロンダリング」的経過措置だ。普通の子供たちを、非社会的な地下世界にひきずりこむ入り口の性格がある、という。
 バタム島は、国際都市シンガポールからわずか二十キロしか離れていない。日本企業の進出も多く、観光よりも産業立地の傾向が強い。ストリート・チルドレンを探し回るうちに、日本語を話すホテル従業員の若者から面白いことを聞いた。この島の繁華街は、ナゴヤと呼ぶという。目抜き通りはショッピングセンターを中心に人通りも多い。「KARAOKE」のネオンがけばけばしい。中国以南で、KARAOKEは売春の代名詞でもある。日本人が昔から遊んだことで、なぜか名古屋の地名がつけられたともいう。ストリート・チルドレンはいたる所にたむろしていた。流しのギターを持たされて三人で歌う少年もいた。そのまま青年になった者も多く、治安は極めて悪いと注意された。年端のいかない少女たちも、大人びた格好で街角に立っていた。
 子供のトラフィッキングは、大別して三タイプに分かれる。①強制労働②ポルノ・売春などセック③腎臓など臓器移植の対象――などだ。目的によって、子供が流れる先も変わる.この島から少年少女は、シンガポール、さらにはバンコクパキスタン、中東UAE・ドバイなどに売り飛ばされていく。中東は強制労働、セックス関連はバンコクなどだ。
 臓器売買の実態については、まったくの闇の世界で、ユニセフや外務省などもその実情をつかめていない。かつてフィリピンのスラム街の子やカンボジア内乱による孤児が犠牲になったとの報告があるが、ほかの実情はわからない。子供の腎臓は、健康な上、移植しやすい利点があり、高値で売買される素地はあるという。
 そこでまた驚くべき情報を得た。バタム、ビンタン島などマレー半島寄りのマラッカ海峡の島々に、子供を流す拠点都市が、スマトラ島側にあるというのだ。それは、石油・天然ガスの積み出し港として知られるリアウ州の州都プカンバル市だ。リアウ州はマラッカ海峡の三千近い島を抱える。バタム島から約二百キロほどだ。バタムへ流れてくる子供は、ここから来るのが通常ルートという。高速艇で約五時間、プカンバルも訪ねた。
 市街地は椰子の並木があり、比較的整備されている。メダン市などより活気があり、新興の経済都市として発展しているようだ。人身売買の件などうかつに口にできない。数年前、この問題を追及していた欧州のNGO関係者が殺害された、との情報もある。ただ、この街も、マラユと呼ばれる民族系から美形が多く産出したという。一方で、ラワン材の産地であり、その密貿易も盛んだという。人身売買の拠点になりうる条件は、そろっている。偽造パスポートなどもここで作られるらしい。

 

 

 

ルポ 子供たちを襲うトラフィッキング危機を追う 第4回

 

【トラフィッキングの核バンコク
 インドネシアで見られるこうしたtsunami・トラフィッキングは、タイやスリランカでも、同時並行的に進んでいる。スリランカでもすでに数百人の子供の行方がわからないとユニセフは警告している。タイ南部のカオラックプーケット島、ピピ島でも、多数の孤児が発生したが、アジア有数のリゾート地であるこの一帯には、売り飛ばされてきた少年少女が多く、今度の津波で犠牲になった子も多いという。
 島のビーチで、西洋人を誘う光景は日常的に見られていた。いわゆるベトファイル(小児性愛者)が多く集まり、十代の幼い少年が働かされているのだ。ミャンマー国境に近いラノーン県一帯も大きな被害が出たが、ここにはミャンマーの山岳地帯から売られてきた少女が、漁船員やツアー客相手の売春宿で働かされていた。
 その死によって、空いた分をまた供給するシステムが、すでに存在する。バンコクをアジア・トラフィッキングの「ウオール・ストリート」と表したNGO関係者がいた。東南アジアから多くの子供たちが売られてくる。日本人ツアー客の歓楽街といわれるパッポン通り。そこには裸同然で踊らされる女の子たちのディスコが並ぶ。客の八割は日本人である。一杯八十円のコーラをおごると、ステージからその女の子たちを下ろし、そのまま二階のベッドやホテルに行くことも交渉次第だ。その子たちは指名がなければ、ただでさえ少ない基本給を下げられる。インドネシアなどでの取引価格は、五百ドルから三百ドルと聞いた。バンコクでは、さらに値が付く。
 津波はアジアの人身売買市場を一気に刺激した。戦争やテロに株式市場が反応するように、この闇の市場も未曽有の天災をビジネスチャンスとしてとらえている。バンダアチェの子供たちが狙われるのは、必然なのだ。
 玉井桂子氏は「人の密輸は、麻薬や銃の密輸に比べて、リスクが小さい。子供は運びやすく、コストはかからず、麻薬犬も吠えはしない。しかも、人間は成長するにつれ付加価値が増し、一つの商品として半永久的に利益を生み出せるのです。マフィアがそれに目をつけ、シンジケート化して国際的に暗躍しているのが今の実情です」と指摘する。
 
【日本の責任】
 国内ですでに津波は、遠くに置き去られようとしている。豊かな暮らしを満喫する国では、サッカー・ワールドカップ予選の日本代表チームの動向に、関心が向きつつある。ワールドカップ予選などに使用される高級ボールは、パキスタン・シアルコットで子供たちが手縫いしたものが使われるケースが多いという事実を、我々は知っていただろうか。子供の手のひらが、手縫いに適しており、学校にも行かず、子供たちが一日中、針を手にし、小さな手のひらを腫らして血で染めている。
 横浜・福富町には、タイ女性の売春宿が軒を連ね、新宿・歌舞伎町、大久保一帯は今や、国際的歓楽街としてアジアに勇名を馳せている。タイ出身とされる女性だけで国内に八万人という。そのうち五万人以上が非合法の滞在だ。タイ駐日大使館には助けを求める女性が後を絶たない。国籍がタイ出身とあっても意味はない。出生証明書はなく、偽造パスポートで原籍はすでに消えているのだ。市場は十歳未満女児を求めている。エイズ感染の危険性が少ないからだ。だが、子供は感染しやすく、免疫力がないため死亡率も高い。そこをまた穴埋めする地獄の図式である。
 日本は間接的にこれらの問題と関わっており、それが目に見えた形でさらされてないだけなのだ。それどころか、米・国務省は「日本が人身売買の対策に不十分」と、加害者視して注意を促している。トラフィッキングと日本の関係を考えると、①国内に入国してくる②日本人が介在する③アジア各国で日本人関与するーーの三ケースがあるが、そのどれにも日本は関与している。
 さらに、IT社会の発展は、児童売春、レイプなど性的搾取を対象にした情報をボーダレスに流すようになり、隠れたベトファイルの増加は、奈良の小学生女児殺害事件に見られるように犯罪に直結している。
 児童の人身売買問題は、一九九〇年代から国際問題化するなど比較的新しい。日本政府もようやくこの問題に本腰を入れ、外務省は二〇〇一年十二月、「児童の商業的搾取に反対する世界会議」(通称横浜会議)を、ユニセフや国際NGO関係者などと共催、児童売春などの犠牲者は、犯罪者ではなく、あくまで犠牲者として扱うことなどを確認する横浜コミットメントを発表した。アジアの人々が、あこがれの国・日本に向ける熱い視線、尊敬のまなざし……海外旅行熱の高まりとともに、アジアを旅した多くの人たちは、そのことを感じるのではないか。
 日本は今回の津波被災で、世界最多額の五億ドルの支援額を拠出、自衛隊本隊や医療チームの救援活動は、バンダアチェ現地で地元の人たちに言葉にならないほど感謝されていた。イラク戦争などと違って、民間NGOとの協調が海外でスムーズに運んだケースとしても、今後の海外救援活動のよき道しるべになった。そうした中で、天災がもたらす新たな人災・児童のトラフィッキングという「負の側面」を忘れてはならないのではないか。
 メダンのアチェ・スパカット基金会・ヤコブ副会長の言葉が忘れられない。
 「実は、日本とアチェ州は、歴史的に深く関わっています。太平洋戦争時の独立戦争の時、アチェの軍隊はシンガポール駐留の日本軍に支援を依頼し、その力で我々は独立を勝ち得たと感謝しています。そのことを我々は忘れていない。今、またこの戦争に比す悲劇に、日本人の力を得たことは、tsunami・generationに引き継がれていくだろう。そのためにも子供たちを守っていかなければならないのです」
                 

           ジャーナリスト 森 哲志