憲法をわかりやすくhttp://consti.web.fc2.com/index.htmlより転載
三、立憲主義と現代国家-法の支配-
1 近代立憲主義から現代立憲主義へ |
時代は流れて1789年、フランス革命が起きてフランス人権宣言がされました。市民革命ともいいます。
ここで近代的な立憲主義、つまり近代立憲主義が誕生しました。
近代立憲主義とは個人の自由・権利を守るために憲法で権力者を拘束する、という考え方です。
しかし、この近代立憲主義には欠点がありました。
個人が自由を獲得し自由に競争できる自由資本主義の時代になったまでは良かったです。
しかし、産業革命も影響して、資本家は資金をつぎ込んで富を獲得し、そうでない者は労働力を提供することとなります。
すると貧富の差ができてしまいました。富める者はさらに富み、貧しい者はさらに貧しくなり・・・、
という具合に近代立憲主義の欠点が浮き彫りになってきます。
そこで20世紀になって誕生するのが現代立憲主義です。
現代立憲主義とは近代立憲主義の欠点である人々の経済的格差を是正するため、人権に社会権を加えたものです。
社会権とは労働基本権や生存権などのことです。労働基本権とは使用者(資本家)に対して立場の弱い労働者の権利を保障するものです。
生存権とは人間として最低限度の生活をする権利を保障するものです。
こうして現代立憲主義は格差の生じた社会で経済的弱者の自由を図っています。
2 「法の支配」と「法治国家」 |
立憲主義と同じく私たちの生活の基本となっている憲法の重要な点が法の支配です。
法の支配とは国家は人が支配して治めるのではなく、正しい法によって支配され治められるべきである、という考え方です。
法とは憲法のことです。
日本国憲法も法の支配の考え方を採用しています。
法の支配の考え方を採用している根拠となっている条文を紹介します。(97条、98条、31条、81条)
憲法は基本的人権の尊重を目的としている。
憲法は最高法規制性を有している。
憲法は適正手続の保障をしている。
憲法は裁判所の役割を重視している。
法の支配とは異なる法治主義という考え方もあります。
法の支配とは国家は人が支配して治めるのではなく、正しい法によって支配され治められるべきだ、という考え方でした。
法治主義も同じく、法によって支配され治められるべきだ、という考え方です。
しかし、法治主義は法律の内容の適正さは要求されません。たとえどんな悪法であろうと、法律なら従わなくてはならなかったのです。
立憲主義をわかりやすく解説
立憲主義をわかりやすく言うと、憲法どおりに権力を使う主義 ということ。
日常で行使されている政治権力などが、ちゃんと、
憲法に基づいて行われているものなのか を問うのが立憲主義のスタンス。
要するに、「国家権力の正統性は憲法にある」というのが立憲主義の基本的な考え方。
・つまりは憲法次第で・・・
立憲主義は、国家権力が憲法どおりに行使されているならばOKという
考え方を持っている。
それは、裏を返せば、「憲法どおりなら、何やってもOK」という
極端な言い方もできる。
基本的に国の憲法は、正義と善性に基づいて作られている。
少なくとも日本国憲法は、そういう思想を元に作られている。
そういう場合は、立憲主義はとても良い方向に働く。
しかし、某国のように、憲法そのものに独裁的で独断的な
思想と方向性があるならば、立憲主義は途端に危険な方向へと
国を傾かせていく。
まあ、そういう国の場合は、立憲主義などとは呼ばれないが。
・憲法の解釈に落とし穴
憲法が正義と善性に基づいて作られている場合は、
立憲主義は善い方向へ働くが、一つ、大きな落とし穴がある。
それは憲法の解釈。
憲法の解釈次第によっては、国家権力があらぬ方向へと向くことも
十分にあり得る。
2015年に日本の国会で可決された集団的自衛権の行使は、
まさに憲法の解釈を若干変えたことによって実現したもの。
アメリカおよび世界の安全事情を考えると、
日本も憲法9条の戦争放棄のスタンスを維持したままでは、
日米安保条約をいつ切られてもおかしくない状態になっていたのかもしれませんね。
「同盟国がやられてるんだから、お前も助けに来い。」
という、人間同士ならば理解できる話も、国同士の話となると事情が変わってくる。
今の日本は、憲法9条の戦争放棄が足かせとなっていて集団的自衛権を行使できない。
となると、憲法改正が必要になってくるが、日本の世論がそれを許さない。
そこで出た案が、憲法解釈を変えようというもの。
世論と野党からバッシングと妨害を受けながらも、強行採決によって
憲法解釈が変えられ、ついに集団的自衛権の行使法案が可決した。
この件に関しては、合憲ではなく違憲なのではないかとも思える。
いくら憲法が正義と善性に基づいて作られたとしても、
その解釈が変えられれば、
国の在り方まで大きく変わってしまう可能性がある。