茅ちゃん日記

世の中のこと、思うことをつづります

59年前の憲法調査会(アベの祖父の岸が憲法改正をめざして設けた)の音声データーが発見!!

「2016/2/25(木)の報道ステーション感動的だ!」と友人からメールが届く

わたしは今日になってようやくその録画されたものを見た。

私的には別に目新しいものはなかったが、これで「押しつけ憲法」ではなかったのだから、「アベ君、押しつけ憲法とウソをばらまくのはやめてね」と言いやすくなったね。

世間にこれを拡散してもらいたくなった。早々twitterfacebookでも拡散!

それにしてもこのようにきちんと文字起こしをしてくださる方がいることに感動。

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=107094

ありがとうございます!転載して世間に広めさせてもらいます。

 

 

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画像の出典: 転載元

報道ステーション]総理の祖父・岸内閣”改憲の原点” 独自「憲法調査会」肉声を発見【文字起こし】

 

竹下氏からの情報提供です。

 戦後の日本史を語るうえでの最重要売国奴2代目裏天皇・堀川辰吉郎の直接の部下・岸信介憲法改正を目指して設けた憲法調査会の音声データが、この度、発見されました。
 9:30〜10:40のところに重要な証言があり、「幣原総理が憲法9条の発案者」でマッカーサーもそれを認めています。とりあえずこれで、岸信介をはじめとする永久戦犯・公職追放組が展開し、安倍政権によって現在にまで引き継がれている「日本国憲法GHQの押し付け憲法である」という主張が瓦解しました。
 しかし、竹下氏によると「幣原総理が憲法9条の発案者」というのは正確ではないようです。明日は、誰が9条の本当の発案者だったのか、その決定的証拠となる資料を掲載します。
(編集長)
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総理の祖父・岸内閣"改憲の原点" 独自「憲法調査会」肉声を発見
転載元より文字起こし)

ナレーター総理の祖父が、憲法改正を目指して始めた調査会。その音声が見つかった。

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岸信介元総理外国の、とにかく権力者が作った憲法でありますからね。

古館「特集『安倍総理憲法改正の原点』です。これをご覧になったら、何カ所かは驚かれる部分があると思いますね。そもそも、59年前になりますが、安倍総理のお祖父さんであります、当時総理だった岸信介氏が、憲法調査会をスタートさせたわけです。メンバーとしては、国会議員が20人、そして評論家など有識者の方々が19人という構成でありました。

さて、その憲法調査会、大分昔でありますが、そもそも現代になりまして、つい最近の事ですけれども、86歳になるジャーナリストの鈴木あきのりさんという方がいらっしゃいます。この方は憲法を研究、そして取材、ずーっとやってこられた方なんですが、その方がこういう設えになっている国立公文書館、そこに入っていろいろ調べたり取材をしている最中に、ある物を見つけたんです。段ボールの箱です。何とその中にはですね、全く未整理であった、あの憲法調査会の議論がもうずっと行なわれている、その肉声が入ったテープを見つけたんです。公文書館にお願いをして、鈴木さんはこうやって現代のCDに全部60時間以上のその会議の模様をコピーしていただいたんですね。そしてご本人がずーっと聞いて、60時間以上のものを、ここはという所を11分ちょっとにまとめたことをこれからご覧にいれるんです。」


02:13 

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安倍総理「まさに日本が占領下にあって、この憲法が作られたのは事実であろうと。指一本触れてはならないと考えることによって、思考停止になる。

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ナレーター:今から59年前の1957年安倍総理の祖父、当時の岸総理は、憲法改正を目指して具体的な検討を始めた。舞台は、内閣に設けられた憲法調査会当時の映像に音声は残されておらず、詳細は知られていなかった。今回、私たちは、実際の議論が録音された貴重な音声データを、国立公文書館で発見した。60時間以上にわたるその肉声からは、岸総理に近い政治家らが主導していた激しい改憲論が聞こえてきた。

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改憲派・国際政治学者 神川彦松氏「これは決して感情論じゃありませんよ。敵国の占領統治下という革命時代にできた憲法でありまして、この憲法明治憲法とは違うわけであります。外国の権力者が作った憲法でありますからね。

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改憲派広瀬久忠参院議員「我が国の政治があやまって軍国主義に行き過ぎた。それに対する(GHQ)司令部の一部の反発が非常に強かった。それが(憲法に)あらわれてきておるのに、我々はもう今日引きずられる理由はない。

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ナレーター当時、まだ40代の中曽根元総理と、調査会会長との激論もあった。会長は、英米法学者の高柳賢三氏で、憲法想定に実際に関わった人物だ。

改憲派中曽根康弘参院議員「異常な状態で作られた、世界でもまれな占領下の憲法という特殊事態を全然知らん連中の話であります。何のために憲法調査会が作られたか因縁がわかりもしないで、この憲法をどうするかという議論が始まるはずがない。」

会長・英米法学者 高柳賢三氏憲法改正は子孫に長く伝わる問題で、現代に住んでいる人だけでもって軽々しく決めると、とんだことになる恐れもある。あなたは、学者というものを非常に軽んじて政治家の道具みたいに考えておられるけれども、それは、あなた、間違い。」

(続きはここから)

04:41 

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ナレーター憲法調査会が始まったのは、GHQによる占領が終わり、日本が独立を回復して5年後のことだ。永久戦犯となった岸信介氏をはじめ、戦時中、大臣などを務め追放された政治家が、次々と政界復帰していた頃でもある。こうした公職追放組が、憲法の中味よりも成立過程を問題視する、いわゆる「押し付け論」を展開した。

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改憲派広瀬久忠参院議員「非常に重大なことは、(憲法)成立当時のこと。その時の日本の有識者が、ただ安閑としておったということはないと思う。必ずや、将来の再検討を考えていたはず。」

ナレータ:岸総理が始めた憲法調査会改憲派は、「憲法を日本人が全面的に書き直すべきだ」と主張したのだ。

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改憲派・政治学者 潮田江次氏「アメリカのハイスクールの生徒の作文だと申したんですが、みっともない前文でして、ぜひ変えていただきたい。

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改憲派早稲田大学教授 吉村 正氏「たとえ内容はいいものだとしても、我が国が完全な独立を回復した今日、我々の手で作り直すのは、あまりに当然の要求ではないかという風に私は考えるのであります。」

ナレーター:押し付け論に異を唱えたのは、リベラルな学者たちだった。

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護憲派・評論家 坂西志保氏「戦争と敗戦の責任を背負う私たちが、何を好んでもう一度大きな危険をおかして憲法改正ということをやるのか、さっぱり意味がわからないんであります。私たちは、もう少し謙虚であっていいと思います。今になって、口を拭って、戦争も敗戦の責任も自分たちにないようなことを言う。そして将来の世代のために、この憲法改正することが自分たちの使命であるという風なことを聞かされますと、私は非常に強い憤りを感じるわけなんです。そういう人たちが、なぜあの戦争を止めることができなかったのか。」

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改憲派・政治評論家 細川隆元「私は現実の必要によって小規模に改正すべきという現実的な改正論者。中身がいいか悪いかが問題であって、(制定)経過というものがどうしてそんなに大事だろうか。(新憲法は)外国の干渉があったればこそ、私はできたと思う。」

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改憲派早稲田大学教授 吉村 正氏「私は完全無欠なものとしても、やはり外国人が作ったものと、我々自身の我々の手で作ったものとは違うんだよ。

07:27 

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ナレーター改憲派の狙いは、戦争放棄を定めた憲法9条だった。日本は戦力は持たないとしたものの、朝鮮戦争を機に、アメリカの要望に応える形で、警察予備隊を創設。そして、1954年自衛隊が誕生した。時は米ソ冷戦の真っ只中。改憲派は、「非武装中立」では、現実に対処できないと主張したのだった。

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改憲派・木暮武太夫参院議員「現在の国際情勢よりみれば、固有的と共に集団的自衛の必要がある。第9条は、改正して自衛のため軍隊を保有し国連平和警察軍への参加を認めるように、国民一般に明確にわかるように規定すべきものである。

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改憲派広瀬久忠参院議員現行憲法の平和主義は非常に高い理想であるが、それは理想倒れであって実際の政治には合致しない。

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護憲派お茶の水女子大名誉教授 蝋山政道氏海外派兵できるんだ、核兵器を持てるんだと、こういうふうな意味が改正の趣旨であれば大変な相違になってくるんです。」

ナレーター:この9条の議論でも、押し付け論が問題となった。戦争放棄の条文は、誰の提案で生まれたのか。GHQマッカーサー最高司令官だったのか、それとも当時の幣原総理だったのか。今回発見した音声データには、憲法調査会が開いた公聴会でのある証言が残されていた。憲法制定当時、中部日本新聞の政治部長だった小山武夫氏によるものだ。

9:30

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中部日本新聞元政治部長 小山武夫氏「第9条が誰によって発案されたのかという問題が、当時から政界の問題となっておりました。そこで、幣原さんにオフレコ(非公表)でお話しを伺ったわけであります。その第9条の発案者という風な限定した質問に対しまして、幣原さんは、「それは私であります。私がマッカーサー元帥に申上げ、第9条という条文になったんだ」ということをはっきり申しておりました。 

ナレーター調査会は、GHQの最高司令官を務めたマッカーサー本人からも、書簡で直接証言を得ていた。

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マッカーサーGHQ最高司令官戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原総理が行なったのです。私は総理の提案に驚きましたが、私も心から賛成であると言うと、総理は明らかに安堵の表情を示され私を感動させました。」

10:40

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ナレーター:今回、憲法調査会の音声データを発見したジャーナリストの鈴木昭典さんは、「16歳の時新聞で初めて新憲法について知った。当時の一面に、象徴天皇主権在民戦争放棄、いわゆる三原則が踊っていた。」

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音声資料を発見したジャーナリスト・鈴木昭典さん(89)「当時、お腹が空いている、で、焼け跡だらけで、いったい日本がどうなるかというのがわからない時だった。そこに、とにかく(新憲法)は戦争をしないわけですから、まあ当時の国民にとってはすごい贈り物だし、励みにもなったという。(憲法調査会では)新しい時代が始まっているんだという感覚がほとんどない人たちがしゃべっているわけですし。」

ナレーター憲法調査会が始まって3年。憲法改正を目指した岸総理は、日米安保条約改定に反対する声が日本を覆う中、退陣に追い込まれた。代わって誕生した池田政権は、所得倍増を掲げた。時代が、"安保"から"経済"へと移り行くなかで憲法調査会はさに4年続く。しかし憲法を改正するのかしないのか、結局、結論を出さないまま幕を閉じた。調査会の会長・高柳氏は、最終版でこう述べていた。

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会長・英米法学者 高柳賢三氏「第9条はユートピアであると見えるかもしれないが、戦争放棄を不変ならしめるのでなければ、人類が滅亡してしまうというビジョンが含まれている。第9条は、1つの政治的宣言であると解釈すべきである。

12:46 

ナレーター憲法調査会が幕を閉じてから半世紀。再び反対の声が国会を取り巻くなか、安倍総理安保法を成立させた。そして、祖父が果たせなかった憲法改正への道を突き進む。

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岸信介元総理「占領下にできた憲法を改めて、日本にふさわしい自主憲法を作りたい。

安倍総理「占領時代に作られた憲法である。私たちの手で憲法を変えていくべきだ。

古館「木村さん、ご専門の立場で是非伺いたいことがいっぱいあるんですけど、私がまず驚いたのは、やっぱり今とあの59年前がほんとに合わせ鏡になっているということ。それからこれは私の感覚ですけれども、やっぱり戦争責任があると言われていた人たち、或は公職追放とか、そういう方々には私憤や怨念やいろんな思いがGHQに対してもアメリカに対してもあったかもしれない。そういう者が憲法改正して自分たちの憲法を作るんだというところに、やっぱり感情的に、感情的じゃないと言っても言っているように聞こえるところもある。びっくりすることだらけだったんですけれども。」

木村草太慶大教授「やはり、「押付け憲法論」のまま思考停止してしまっている人がけっこういるということではあるとは思うんですけれども、また安倍首相も国会の場で「押付け憲法論」をふりかざすまでに至っていますが、やはり今の憲法GHQの押付けだというのは、これは制定過程の理解としては不十分、不正確と言わざるを得ないと思います。」

古館「やっぱりそうですか。」

木村草太慶大教授「まず日本政府は太平洋戦争を集結するためにポツダム宣言を受託したわけですが、そのポツダム宣言には「民主主義の復活強化」、それから「基本的人権の保証確立」ということが条件とされていて、これは国際社会の当然の要求であると同時に、当時の国民の希望、願いでもあったはずです。GHQは最初は日本政府に憲法改正を委ねていたわけですけれども、しかし、その内容が民主主義の復活強化というにはあまりにも不十分だったということで、GHQが草案、というか原案をつくるに至ったわけです。」

古館「一旦変更するわけですね。」

木村草太慶大教授「又その後に。これは英語で書かれていて、また日本法に明るくないこともありますから、日本の官僚や政治家が翻訳作業や日本法との整合性をとるための整合作業、ここでしっかり日本にふさわしい原案を政府案として作って帝国議会に提出したわけです。さらにその帝国議会は、日本初の男女普通選挙で選ばれた帝国議会の議員たちが審議して制定したわけですから、やはりこれを押付けと単純に評価するのは当時の国会議員、官僚、そして彼らを選挙で選んだ国民への侮辱になっていることに気がつくべきだと思います。」

古館「そういう捉え方ですね。」

木村草太慶大教授「もちろん、GHQの占領が終わっ段階で、改めて見直そうという動きがあるということは理解できるんですけれども、しかしなぜ改正が行なわれなかったのか。それは自民党内の改憲派が望むような改憲案を国民が支持してこなかったからであって、70年近くにもわたって憲法が改正されなかったのは、まず日本国憲法が世界標準に照らしても、かなり優秀な内容であったということもありますが、さらに国民が望むようなより良い憲法にするような提案を国会議員がしてこなかったということだと思いますね。国民主権原理の元では、憲法というのは国家が権力を乱用して、国民の自由、権利を侵害することを防ぐ、このためにあるわけです。ですから、憲法改正を実現したいのであれば、これは押付け憲法論というのをアピールするのではなく、憲法に対する感情的な反発ではない、より国民の望む改憲がどんなことなのか。これを考えてアピールすべきだと思いますね。」

古館「そこですよね。さっきのああいう議論を聞いていますと、女性の方が、あの戦争の悲惨さ、国民がどういう味わい方をしたか、それがどういう今心境になっているかとおっしゃっていて、非常に印象に残りました。わかりやすくて。その他の改憲の方々の話を聞いていると、やっぱり国家と自分というのを合一していて、まず国家としてどうなるんだとなるんだけど、それも大事かもしれませんが、国民一人で構成されている国民のための国家だと考えた時に、戦争に行って死んだ人、悲しい人、そして行かなかったけれどもどれだけ苦労をしたか、そして身内を失ったか。そういう人たちの悲しみの総和というものを考えたら、そう簡単にいろんな事を改正できなかったんじゃないかなという気がするんですけどね。」

木村草太慶大教授「そうですね。やはり、憲法というのはその国を幸福にたらしめているルールです。将棋が将棋のルールなしに存在しないように、国家というのは憲法なしには存在しないわけですし、国家を大事にするということは憲法を大事にすることでもあると。やはり、今の憲法に憎しみを持っている方は、それから解放されないと建設的な改憲論は永遠に不可能だ。これをまず自覚するべきだと思います。

古館「まずそのどうしても人間ですから感情というのがありますからね。それを抜いた上でやっていくというような、ある種の気が遠くなるような作業を経ないと、こういうものって簡単に決められないということに戻ってきますね。」