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茅ちゃん日記

世の中のこと、思うことをつづります

長い手紙がとどきました。あなたのこころにも届けたくて・・・

 

 

 

 

ねえ 聞いて 聞いて!

お気に入りのカップでクッキーと紅茶を飲んでいる時、暖かくなった布団の中でゆっくり伸びをして今日も穏やかな一日だったと思う時、ふっとフラッシュバックのようにぼろぼろになって沖縄の戦場を彷徨う人たちが頭に浮かんでくるのです。

年末に沖縄の戦跡巡りの旅に参加し、ガマに入ったり資料館を見たりして、前後に読んだ聞き書きやルポの内容がより具体的に想像されたからだと思うのだが、心に深く沈んで思わぬ時に、会ったこともない人々見たわけでもない情景が浮かんできて、沖縄から帰って後どうも心が重いのです。

戦後もずうっと沖縄では基地問題で苦しんでいます。特に、政府が「戦争のできる国」へと政策の舵を切った昨今は、沖縄の人たちには基地が集まっているゆえに、沖縄がまた戦場になるのではと不安に慄いているのに、わたしたちはともすれば他人事のように「気の毒だけれど…」と言いつつも座視しているのではないでしょうか。

知った者の義務とでもいうのか、この旅で分かったことを、私の信頼するひとに是非伝えたいと思うのです。退屈かもしれないけれど、最後まで読んでくださいね。

 

そもそも沖縄は15世紀に尚氏が国をまとめて以来琉球王国として中国(冊封朝貢)・日本東南アジアとの貿易で平和に暮らしていた国でした。

、それを豊臣秀吉朝鮮出兵の際に薩摩藩琉球に金銀や米の供出を求め、断った琉球に攻め込み、武力を持たぬこの国を270年間支配下に置きました。その後明治政府琉球藩(尚氏が藩主)として中国との関係を断たせ、さらに廃藩置県で沖縄県としたときに尚氏を東京に移し、名実共に琉球王国を終焉させたのです(琉球処分)。その時々に日本は武力でねじ伏せてきたのです。

 

こうして日本に組み込まれた沖縄は、以後もさまざまの差別に苦しめられたようですが、アジア太平洋戦争の終盤に起こった沖縄戦にそれが集約的に表れたように思います。

沖縄を「本土防衛のために」と前線基地としたのは、すでに日本軍が壊滅状態になっていた43年であり、南洋諸島で日本軍をつぶしてきた米軍が50万人規模で襲って来、それを迎える日本軍は10万人それも満足な武器も持たずに。

問題はこの沖縄戦が起こった時期です。

日本の敗戦がはっきりし、水面下でアメリカとの交渉が前年の9月ごろから始めていたというのに、翌年沖縄の各地に飛行場を突貫工事で造りました。(これには多くの住民や、朝鮮からも軍夫として徴用)朝鮮人については1000人の女性が「慰安婦」として連れてこられ、軍隊のいるところに割り当てられていて、軍の関与の証言・証拠文書もあります。

3月22日ごろから空襲が始まり、本島には4月1日にほとんど抵抗を受けることなく米軍は上陸したのです。そして6月23日の牛島最高司令官の自決で(最後の一人まで戦って寸土も渡すな!という命令を残した)系統的戦闘が終わるまで(この日が慰霊の日になるが、この後も戦闘が続き9000人もが死亡)実に激しい攻防戦が続いたのです。実に3か月に及ぶ長い日々であり、それも地形が変わるほど膨大な量の砲撃で、緑豊かだった地ががれきの荒れ地に変わった戦場で。

敗戦がわかっているのに本土防衛戦だなんてナンセンス。軍でも沖縄戦を「捨石作戦」と位置付けています。今の情況では無条件降伏になるが、少しでも米軍をてこずらせ厭戦気分を起こし「国体維持」を飲ませたい、という意図があったからです。2月に近衛首相が天皇に「最も怖いのは革命です(天皇制の崩壊)。」と上奏し、この作戦を実行したからです。

 

よく本土では「もっと早く敗戦を認めていたら東京大空襲や広島、長崎の原爆投下もなかったろうに」というのを聞きますが、沖縄戦こそ確定的に起こった悲劇であり、決して抜け落としてはいけないことです。ここにも沖縄への無意識的差別を感じます

 

沖縄戦での死者は約20万人と言われ、米軍12000人、日本側18万8千人・半数が軍人半数が県民、(厚生省の資料)私たちはこれを教えられてきました。

でもこれは正確ではないのです。軍人の中には防衛隊として徴用された県民も多く含まれています。特に哀れなのは師範学校生(今の高校生)がいきなり陸軍2等兵として戦力に加えられていることです。

また多くの住民が作戦の中で餓死したり、マラリヤで死んだり、あるいは日本軍に殺されているが、こういう人たちはこの数字には入っていないのです。正確な人数はわかっていませんがが、住民の死者は15万人を下らないだろうといわれています。(戦後多くの人が命尽きたけれど、彼らも数に入っていません。)

 

沖縄戦は「軍官民共生共死の一体化」という方針で進められたのです。しかしそれはいつも軍の都合が優先されたようです。

沖縄を守るために闘うという軍のために、最初は進んで食料の供出をしたけれど、作戦室に使うと言われ家も提供させられました(慰安所に使われた家も)。身を隠していたガマ(鍾乳洞)さえ作戦室(軍はいつもそういう)にするからと追い出され、焼野原をさすらうしかなく、「鉄の暴風」と呼んでいた砲弾・射撃にさらされ(腐っていく死体のある溝に4日間潜んでいた家族もある)飢えに苦しみながら逃げまどい、多くの人が悲惨な逃避行の挙句死んでいったのです。軍隊は住民を守るどころか、軍のために利用するだけ利用して捨てたし軍の論理で死に追いやったのです。それが沖縄戦の実態なのです。

作戦の予定では、戦力にならない60歳以上・10歳以下の住民は南九州・台湾・北部への疎開が行われたが(対馬丸の悲劇はこの最中に)間に合わず、20万人の予定が3万人で終わってしまい、結局赤ちゃんから老人まで住民たちが戦場の中を逃げ廻ることになったのです。疎開できた人々も食料もなく、飢えに苦しみ餓死や病気で亡くなった人もたくさんいました。

 

本土で小学校が国民学校と呼ばれるようになったとき、沖縄でも「皇民化教育」がより強く始まりました。天皇の赤子であり、その天皇の国のために進んで命をささげられる立派な日本人になるようにと。同時に、沖縄の方言や琉球的なものは「遅れたもの」と否定され、服装や名前まで変えるように指導されもしたのです。明治時代からいろいろ差別されてきたゆえに、教育の場で日常的に皇民化を刷り込まれたので若年者ほど、本土以上に皇民意識(立派な日本人になる!)が強かったといいます。

皇民化指導の中には「生きて捕虜になるな」もあり、その上中国から転戦してきた兵士は、自分たちがやってきた蛮行を示しながら、鬼畜米兵はどんな風に惨殺をするかを住民に吹き込み、そんな死に方をするより、捕まる前に死ぬほうが楽だと説き、手りゅう弾を与えたり、玉砕するよう住民を集めるなどもしています。だから沖縄では「集団自決」ではなく「集団強制死」という人が多いようです。

直接日本兵に殺された人もたくさんいます。米軍の収容所にいて夜間敗残兵に襲われた人たち、方言を使う者や、軍に文句を言う者はスパイだと殺され、赤ん坊が泣くと爆撃の中に出されたり殺されたり。「友軍が恐ろしかった」と証言する人も多いです。辛うじて生き残っていた人たちで米軍に見つかり治療を受け助かった人もたくさんいます。さらに食料を与えられ、シラミだらけから解放され、何より安全なところで眠れたので、収容所は天国のように思えたといいます。

凄惨な戦場の中でよく生き残れたものです。しかし住民の3人に1人が死にました。

 

こうした悲惨な体験は、語られることは少なく、今回訪れたチビチリガマも長い間、その存在が秘されていたぐらいです。子供を殺したのに死にきれず米兵に助けられてしまった人、あまりに悲惨な経験をして狂ってしまった人、多くの死者を出した故に、無かったこととしたいという思いが強いといいます。

聞き書き「いくさ世を生きて」(図書館にあります)を読んで、「経験していない者にはわからんさ」「本土の人間にはどれだけ語っても想像もできないさ」という言葉にはうなだれるしかありません。

証言者の多くが、話すことであの日々に引き戻されいろいろ思い出されその日は眠れない、といいます。話さなくても夢に見たりすごかった匂い(糞尿や死体の腐る匂いなど混じった)がよみがえったり、トラウマに苦しんでいる人が多いといいます。

しかしそんな思いまでして語ってくれた話にもどれだけの人が耳を傾けただろうか。

「昔のことをいつまで・・・」とか「自分が救われたいために、あるいは同情されたいために話しているんだろう」という目で見たり、「はいはいそうですか」的な聞き方をしなかっただろうか。悲惨なことは聞きたくないとあえて聞こうとはしなかったり・・・・

 

私が今沖縄のことを話さずにいられないのは、これらのことが今現在につながっているからということもあります。

国体維持のためだけにに、当然予想され地獄の苦しみを沖縄の人たちに与えた日本という国が(本土と言い換えてもいい)米軍基地をその後も沖縄に押し付け続けているのです。

アメリカは沖縄戦で既に戦後を視野に入れており、占領後日本軍が作った飛行場を拡張させたのです。今回の旅で行った伊江島では生き残った住民をほかの島に移住させこの地の8割近くを基地にしていました。本島でもあちこちで「銃とブルドーザー」で住民の土地を奪い基地にしたのです。農地や住まいを奪われ生活の糧を失った人たちは結局交付金や賠償金を頼るしかなく、やがて基地関連の経済機構ができ上がっていきます。戦後の27年間占領地の中で生きざるを得ず、米軍による犯罪に泣き寝入りなど苦難の日々があったのです。

 

最近憲法のことを、「押し付けられた憲法」だから日本人の手で憲法を作ろう、などという声が自民党を中心に高まっていますが、私は当時の政府ではとてもこんな素晴らしい憲法は作れなかったろうから、よくぞ押し付けてくれたものだと感謝していますが、沖縄の人から何度も聞かされたのは「復帰を願ったのは、日本が祖国だからではなく、あの平和憲法の元で暮らしを立て直したかったからです」という言葉です。

でもどうですか?復帰しても基地は増えこそすれ存在し続け、その後の多くの戦争ではここから攻撃に出ていったのです。誰よりも戦争の悲惨を知る沖縄が加害の協力者に組み込まれたということです。こんな理不尽なことがありますか!

復帰後は反戦平和の聖地のようだった沖縄も、状況が変わらぬ長い日々の中で(政府の努力がない)、生活の糧が作れないまま基地関連産業構造に馴染み、やがて保守回帰になったのも分かる気がします。あれだけ酷い目に会った伊江島なのに、今では自民党支持者が多く、今回の知事選挙でも低投票率だったと聞きます。教科書でも沖縄戦の記述の少ない歴史修正主義史観の教科書があちこちで採択されていることと共に、私は沖縄の人々に対して「痛ましさ」を強く感じました。

今回訪れた辺野古でも、反対運動をしている人の多くは地元住民ではないと聞きました。

原発立地市町村で再稼働を支持する人が多いのと似ています。交付金を当てにしての生活が出来上がっているからでしょう。ただ、原発の場合は選べたけれど、沖縄の人たちには選択の余地はなかったという大きな違いはありますが。

アメリカにとって沖縄が「基地として地理的に重要」というのは最近では変わり、アメリカの軍事関係者の中にはむしろ分散したほうがいいという意見もあり、県民挙げての反対を無視し「辺野古」を強硬に主張する政府に違和感を覚えます。

沖縄が再生するには豊かな自然と独特の文化による観光資源はとても大きく、その点でも辺野古の海を破壊するのは沖縄に過酷な犠牲を負わせることになると思います。

安倍政権辺野古問題で反旗を翻したという一点で、上京してきた現知事に会うことを拒んだだけでなく、交付金の減額をしたのです。県民の意思として、これ以上基地負担は勘弁して!という選挙結果を無視してです。自民党員である知事はいろんな点で苦しい立場に置かれ、前知事のようにつぶれてしまうのではと危惧しています。

まるで国家権力によるいじめと圧力でねじ伏せようとしているとしか思えません。

沖縄の歴史を思い返せば、私たち本土の人間はある意味加害の共犯者と言えるのではないかと思いました。いわゆる苛めには加わらないけれど見て見ぬふり・止める行動をしない者を「消極的加害者」と呼ぶのと同じことです。

 

今回知ったことはもっといっぱいあるけれど、これ以上長いと読んでもらえないし、思いつくままに書いたので、要領を得ないところも多々あると思うので、ここまでにしますが、どうぞ図書館で「沖縄戦関係の民間の本を」とリクエストして読んでみてください。

そしてまた現在の沖縄のおかれている状況に関心をもってください。

県民の声を無視して辺野古では予定通り桟橋の建設が始まり、体を張って反対する人たちにけが人が続出しているということです。(本土のメディアはあまり取り上げないけれど)

知らなくても、関わらなくても自分の生活はかわらないし、知ったところで自分が悩ましくなるだけかもしれません。でも・・・でも・・・・それでいいのかしら?

 

第一次安倍政権下で教科書の指導要領が改定され、教育は国民の権利でなく義務とされ、国益や公の秩序に重きが置かれるようになりました。その上かつては検定さえ通らなかった少し変えただけの「作る会}の教科書が保守的首長の元で次々採用され、あの手この手でかつての「少国民」造りを思わせる改革が行われています。

また、特別秘密保護法や集団自衛権の行使・武器輸出三原則の改革などなど、次々に憲法をなし崩しにしていく政策が実現していっています。

欧米から「黄色いアリ」「ウサギ小屋に住む働き中毒」などと揶揄されても、「お金は出しても血は流さないのか」とアメリカに叱られても、そういう日本人は世界中で好意を持たれ信頼されていたのです。

今や先進国の一員に拘泥する安倍政権は「、武力を使わない平和主義の国」の看板を下ろし、欧米流の普通の国になるためにまい進しているようです。

でも、「武力で平和は造れない」というのは、世界の状況を見れば自明の理です。ビンラディンを殺害してもアルカイダの活動は減っていません。イラク戦争に端を発したイスラム諸国の混乱と紛争そして過激派の分派活動などの更なる危機的状況になっただけ。

こうした時代にこそ、平和憲法は大きな力になり、それを守る日本の発言力は増すというのに・・・・折角70年かけて培ってきた日本への信頼をどぶに捨てるのを黙認していいのですか。

 

沖縄は「国や軍隊は国民は守らない、守るのは支配層と権益を持つ者」ということを教えてくれました。それと沖縄・アイヌ(北海道連隊が最も多くアイヌ民族の根こそぎ徴兵を思わせられた)そして朝鮮に対する差別意識があったこともぜひ知らせたかった。

       読んでくれてありがとう

                             井上昭子