茅ちゃん日記

世の中のこと、思うことをつづります

石田 雄氏の私たちへの遺言

 

 

新連載 石田雄 ― 軍隊体験者が次の世代に遺したいこと
第1部 もう一度戦争を始めないために
第1回 過去の経験から感じる恐ろしさ

寄稿:石田雄  2014年11月29日

 

私は2015年で92歳になります。今や数少ない軍隊体験者として、軍国青年になったことの反省のため長年政治学を研究してきた者として、安倍政権の政策に非常な危機感を持っています。本当であれば、デモなどで自分の意志を明らかにしたいのですが、身体が思うように動きません。それで、この場をお借りして、次の世代への「遺言」を語りたいと思います。不定期の連載ですが、ぜひともお読みください。

特定秘密保護法の制定や集団的自衛権閣議決定などで、日本が戦争への道に進むのではないかという危機感を多くの人が持っている。それに対する批判や怒りの声を上げている人も多い。しかし、批判や怒りの表明にとどまっていることがほとんどで、危機感を持っている人が何を目指して、どのような方向に歩み出せばよいのかについて触れる論考は多くない。4回にわたる第1部では、1回目で問題提起を行い、2回目以降では一歩でも前に踏み出すための提言を行う。

最近の日本での政治的動きを見ていると、過去の戦争に兵士として動員されたひとりとして、恐ろしい予感がしてならない。一体、どの点で前の戦争に向かった点と共通しているのか、どの点で違うのかを明らかにして、もう一度戦争に向かうことを防ぐ方法を考えよう。

■思想言論の自由への制限

まず似ている点から見てみよう。ひとつは特定秘密保護法の実施に伴って、言論・思想の自由が脅かされようとしている問題だ。私が生まれて2年後の1925年に普通選挙法と抱き合わせで治安維持法が制定された。「国体を変革」する組織を禁止するという名目で、最初は共産主義者が取り締まりの対象となった。しかし、「危険思想」を持っているという疑いによって、取り締まりの対象はどんどん広がった。出版法なども加わって、取り締まる相手は共産主義者だけではなく、共産主義に反対していた自由主義者も軍国化に反対するというので逮捕、処罰されるようになった。こうなると、軍国主義化の流れを止めることは不可能になった。

今日の特定秘密保護法は、国家の安全保障のために必要だといわれている。しかし、何が秘密であるかが明らかでなく、それを知っている公務員だけではなく、知ろうと「煽動・教唆」した一般人も対象とすることになっているのが危ない。軍事化に反対する言論がその主張のために情報を求めようとすること自体で逮捕される危険を伴うということになれば、かつて戦争に反対する言論が一切封殺された事態を繰り返すことになる。

この危うさは、最初は気づかない中に、次第に取り締まり対象が広がり、気づいた時にはどうにもならないという「ゆでガエル」現象が起きることである。戦前には、最初は共産主義者だけだから、自分は関係ないと思っているうちに、やがて戦争に反対する一切の言論が封殺されることになった。

■排外的ナショナリズム

もうひとつ戦前と今日の状況の類似点として危惧されるのは、排外主義的ナショナリズムが経済的な困難に伴う不安や不満を敵への憎悪に誘導するということだ。1930年代には世界恐慌の影響で貧しい農村では、「娘売ります」という広告が出されるほどで、「非常時」だといわれた。その困難を克服するためには、「生命線」としての「満州」に進出することが必要だというので、関東軍は自ら南満州鉄道を爆破した。そして、これを中国人がやったとして、それを口実に軍事行動を始めた。そうなると、軍事行動に反対する意見は弱腰であり、それをいう者は「非国民」だと非難され、多くの人は沈黙する。勇ましい軍事行動を支持する世論に支えられ、戦線は次々に広げられた。そしてアメリカからの石油輸出禁止に対して、中国からの撤兵という条件ではとても世論を説得できないと対米戦争に至った。

今日の事態は、軍部の発言権は強くないから、当時とは違うというかもしれない。しかし、最近の「反日」や「非国民」「売国」などの言葉が横行する状態は、経済格差に伴う不安や不満が社会に充満しているだけに、それを国の内外の敵へと誘導する動きとして、同じような危うさを感じさせる。

それは単なる一時的な感情的反応で、心配する必要はないという人がいるかもしれない。しかし、例えば自治体の広報誌に憲法9条を詠み込んだ俳句を載せないようにしたり、自治体のイベントに「9条の会」の参加を拒んだりする動きが出てきている。これは面倒なことになるといけないから、「政治的」なものは遠慮してもらうという形での自主規制にほかならない。

■平和のための戦争の危うさ

このようにして、軍事化を防ごうとする言論が不自由になることは、愛国心をめぐる忠誠競走を生み出す危険性と表裏をなしている。かつての戦争では「東洋平和」のための戦争を勝ち抜くことが日本の繁栄のために必要だといわれた。それと同様に、今や「積極的平和主義」によって、世界のどこでも武力行使をすることが日本の繁栄に貢献するといわれるようになってきている。

武力行使の名目は、過去の戦争でも在留邦人の生命を守るためといわれた場合が多い。日本人の生命を守るためということで一度武力行使がされれば、当然報復攻撃があり、それに伴って、戦火は拡大した。今日でも同じ結果が予想されるだけでなく、人の移動が自由になり、武器も高度化・小型化したため、報復は日本国内でのテロという形で行われることも十分に予想される。

武力行使によって、自衛隊に死者が出たら、どうなるか。その死を無駄にするなと敵への憎悪が一層強くなることは過去の例からも明らかである。さらに自衛隊への応募者が減ることによって、徴兵制の可能性も考えなければならない。わたしは1943年学徒出陣で入隊し、殺人を使命とする軍隊という組織で毎日のように殴られる経験をした。今や数少なくなった、そのひとりとして、次の世代が徴兵され、殺人を使命とする組織に参加させられるようになるのを黙って見過ごすわけにはいかない。では、どのようにすれば、戦争につながる今の危うい道を阻止することができるだろうか。3回に分けて、考えてみよう。(続く)

第2回 沈黙のらせんを起こさないようにする

寄稿:石田雄                2014年12月6日

 

かつて日本が戦争に向かう過程において、一番決定的だったのは「沈黙のらせん」が起こったことだった。一度戦争が始まると、多くの人は、それに反対するのは「非国民だ」と非難されることを避けるために、沈黙してしまった。そして、ひとりが沈黙すると、他の人も同じような恐れをいだいて、黙ってしまう。こうして、戦争に反対する声が消えてしまったのである。

■自分の考えを発言する勇気を

今日の日本では言論の自由があるので、その心配はないといえるだろうか。前回も述べたように、すでに今でも「そんな政治的発言は載せない方が安全だ」という形で、自治体の広報誌にも自主規制の傾向が見られる。他方ではNHKの会長に、「政府が右といっているのに、左というわけにはいかない」という人物を任命して、政府の広報機関にしようとする動きがある。そのほか、週刊誌も販売数を増やすために、「売国奴」や「非国民」への非難を大きく扱っている。言論の自由が建前としてあっても、実際のジャーナリズムの世界でそれが十分に生かされているとはいえない。

そうだとすれば、大切なのは主権者である国民一人ひとりが自分で考え、判断し、考えをはっきりという勇気を持つことだ。そうしないと、ヘイトスピーチはおかしいと思っていても、黙っていることで、その影響力はさらに大きくなり、道理のない憎しみが沈黙を一層拡大させることになる。もちろんひとりで反対するのには勇気がいる。しかし、誰か他の人と話しをしてみると、多くの人が自分と同じ不安を持っていることに気づく。とくに自分の属している組織の中ではなかなか言いにくくても、組織外の人と話すことで自信を得て、組織そのものを動かすという場合もある。

3・11の原発事故の後、NHKのスタッフが外部の研究者と協力して、いち早く放射能の汚染状況を明らかにして、番組を作ったことがある。番組は『ネットワークでつくる放射能汚染地図』としてシリーズ化されたが、NHKのディレクターやプロデューサーが社外の専門家に話すことで、連鎖的に協力の輪が広がっていった。現在の状況に危機感や不安を抱く人はあちこちに存在しているので、そうした人たちとつながることで自分自身も自信を持つことができるし、つながった相手も同じように声を出す勇気を得ることができる。

■既成事実の重さにどう抵抗するか

むずかしいのは既成事実の重さに抵抗することだ。1932年上海事変のきっかけになったのは上海で日本人僧侶が中国人に殺されたことだった。それで日本政府は軍を増強し、中国軍と戦闘になったが、その殺人事件は日本軍が工作して、やらせたものだった。しかし当時はその事実は判明しておらず、軍と政府は世論の支持を得て、上海事変を拡大させていった。そのように戦線の拡大は常に既成事実の積み重ねによって、行われてきた。

今日でも、沖縄・辺野古への基地建設は決まったことだから、やらなければならないと政府はいう。しかし、その決め方がどうだったのか。普天間基地からの移転によって、基地は大きく強化されることになることが日本の選択として、ましてや沖縄にとってよいことなのか。政府は「過去のこと」だということに対して、こうした問いかけを常にしていくことが必要だ。そして、その中で、よりよい選択を探していくことが既成事実の積み重ねに抵抗していくことになる。

既成事実を問い直すために、必要なのは権力から遠くにあって、犠牲を強いられる人たちの意見の尊重である。いうまでもなく、安保体制(基地問題)については、日本の0.6%の面積しかないにもかかわらず、全国の米軍基地の4分の3が集中している沖縄の声が尊重されなければならない。その際、沖縄では安保体制を支持する世論は全国の十分の一であることも見ておく必要がある。

既成事実を問い直すことなく、逆にその重みを利用するのは、それによって失うものはなく、むしろ利益を得る権力の側である。過去に戦争の拡大という既成事実を利用したのは、直接殺人を命じられる兵士の意見、そして意見をいうことは難しいが、その武力行使によって殺される民間人の立場を考えることのない指導者たちであった。戦争末期、「一億玉砕」を命じた軍の司令官達は長野県松代の地下壕に入って、命令を下すことになっていた。

■権力からの発信への批判

このような過去の事例をみれば、思想・言論の自由を考える時、とりわけ権力からの発信に対し、あるいは政府の決定に対する批判が必要だ。どのような権力も批判されないと腐敗する。とりわけ軍事に関することは秘密にする必要があるという理由で、特定秘密保護法のように情報に統制がかけられる。そのため、放っておくと、知らない間に新しい兵器が購入され、それが隣国を刺激して軍備拡張競争になり、国際的な緊張を高める結果にもなる。 原発についても、それが核武装のための潜在力として開発されたことは、非公開だった1969年の外務省文書で明らかになった。

このような戦争に向かう軍事化に、どうしたら言論の力で歯止めをかけることができるのだろうか。一度武力紛争が起こり、自衛隊に死者が出たりすると、敵を憎悪することに反対するのが一層困難になる。そのため、武力紛争になる前に勇気を持って、反対の意思を表すことが求められる。

その場合、意見をいうことがむずかしい、犠牲者たちの声に、どのようにして耳を傾けるかが大きな課題となる。軍事化はその過程において、すでに犠牲者を生み出している。基地の存在にともなう事故や犯罪(その処理は日米地位協定により、日本の裁判によらない場合が多い)によって、様々な被害を被っている人が多数存在する。これに対しては、殺人効率増大を主な任務とする軍事組織そのものを問い直すことが必要となる。憲法9条を持つ日本の主権者として、私たちすべてがこの課題にどう取り組んでいくのか、それは原爆の被害をうけた日本人として、真剣に考えなければいけないテーマである。(続く)

第3回 離れて憎むより接して対話を

寄稿:石田雄       2014年12月15日

 

過去の戦争では、政府や軍部は「暴支膺懲(ぼうしようちょう=乱暴な中国をこらしめる)から「鬼畜米英撃滅」というスローガンで、国民の憎しみを駆り立て、戦争に動員した。挙げ句の果てに、破局を迎え、敗戦に至った。今また、「反中嫌韓」の空気が強くなり、排外的ナショナリズムの傾向が目に余るようになってきた。これは国内での経済的困難に伴う不安や不満を内外の敵への憎しみに誘導しようとする意味において、戦前と共通の動きである。この傾向は戦前の経験から明らかなように、戦争への道を歩む危険性を十分に持っている。ただ今日の特徴は、グローバル化の進行に伴うマイナス面とプラス面の両方があることで、それが戦前とは大きく異なっている。

グローバル化の消極面

今日、日本における格差の拡大、貧困の増大は、これまでとは比べものにならないほどの世界的な一体化の中で起こっている。「富める1%が99%を支配する」というのはアメリカの現象であると同時に、世界的な現象でもある。それは人と物の移動が国境を越えて、自由になったことの結果でもある。作家の雨宮花凜が一時右翼団体に入ったのは、「韓国から来た人が低賃金で働くから、日本人には働き口がない」といわれたからだと告白している。

世界第2位の経済大国といわれ、経済成長を誇っていた日本ではバブル崩壊後、新自由主義的経済思想によって、弱肉強食を肯定する社会進化論的な考え方が一般化した。これは明治初年に天賦人権説を紹介した思想家で後に東京大学総長になる加藤弘之の社会進化論への転向と似た現象ともいえる。

しかし、家父長制的家族意識と結び付いて、天皇は国民の父であり、国民はその赤子であるという家族国家論と結びついていた戦前と違い、極端にドライなのが今日の社会進化論である。一方では強者の支配を正当化し、他方では弱者・敗者は自己責任論を内面化して、自分から口を閉ざしてしまう。このような中での排外的ナショナリズムは、憎しみの感情で自分の不安を解消すると同時に、非情な形で犠牲者を切り捨てる。それが犠牲にされた者の報復を一層残虐なものとする。それは9・11事件以後各地で見られるテロに示された。

グローバル化の積極面

一方で、グローバル化には積極面もある。例えば、今日では国際結婚が増えてきて、2012年の全婚姻件数の3.5%を超えるまでになっている。そのため、生活の中で全く外国人と触れる機会がないという人の方が珍しい。問題はそうした接触の機会をどう生かすかにかかっている。よい例のひとつが中国から日本に留学している高校生が日本の高校生とお互いの歴史教科書を見せ合い、その違いを比較して、なぜそうした違いが生まれたかを考える対話をしたことである。

私自身、積極的に対話の機会を増やそうと努力している中国からの留学高校生や日本の高校生たちと対話をしたこともある。彼ら・彼女らは「日中韓の過去・現在・未来を高校生で考えよう」と交流会や勉強会、日中韓高校生未来サミットなどを開いている。今日では主権国家の政府による外交だけでなく、国境を越えた民間の対話のための努力が個人やNGOなどの諸団体を通じても進められていることは、戦前には見られなかった積極面の重要な点である。

■非軍事化への民間の動き

今日の軍事化がグローバルな文脈で進められていることは、日本のようなアメリカへの軍事的従属が明確な場合には特に注意を払うことが必要だ。しかし、非軍事化に向けた民間レベルでの動きについても、軍事化に対抗する要素として等しく注目されるべきである。地雷やクラスター爆弾のような非人道的兵器について、世界のNGOは禁止するための活動をしてきている。その働きかけが大きな力となり、1999年には対人地雷禁止条約、2010年にはクラスター爆弾禁止条約がそれぞれ発効している。

同じ民間交流でも、経済の領域では、しばしばODAと関連するなど政府も関与し、武器輸出や不平等な関係での取引もあり得る。しかし、この領域でもフェアトレードという形で、第三世界の草の根の経済を支えようとする動きも見られる。

先進国では途上国からの労働力流入を利用する面があると同時に、移民労働者に職を奪われるという危惧から排外主義政党が勢力を伸ばしている傾向が見られる。そうした中で、世界的な規模での平和で持続的な発展の実現を目指すためには、次回で検討するように自国内での草の根からの経済の再構築を考えることが求められる。それと同時に、国境を越えた人の移動に伴う憎悪を防ぎ、対話による問題解決を考えなければならない。そのためには、途上国支援の方法を検討すると共に、国内における格差を是正することで、移民労働者に対する憎悪や排斥という形で不安と不満を利用しようとする政治勢力を抑えることが必要である。

政治と外交の領域で考えれば、まず政治の領域では、各主権国家の中で国内の不安や不満を排外的憎悪に誘導させないように、政府に経済格差や貧困に悩む人たちの不満解消のための施策を行わせるために、民間からの圧力をどのような形でかけることができるかがカギである。この点に関しては前回で述べた声を出せない弱者や被差別者の声を政治の世界に反映させるような運動が必要となる。

一方、外交に対しても、武力に依存した対抗ではなく、非軍事化に向けた解決策を模索するように、働きかけを強めていく必要がある。同時にNGOの国際的連帯の強化によって、地球的規模での非軍事化への圧力を大きくしている努力が求められる。具体的には、非核と軍縮に向けた地球的規模での世論の形成が期待される。

第4回 持続的な平和的な生活を草の根から世界へ

寄稿:石田雄     2014年12月23日

 

幕末に開国してからの日本は、ひたすら富国強兵によって、先進帝国主義諸国に追いつこうと努力し、その結果は15年余りの戦争の後に敗戦に終わった。戦後は平和憲法の下で、経済成長によって先進諸国に追いつき、追い越すことをめざして、世界第二の経済大国となった。しかし、1990年代初めのバブル崩壊後は成長の鈍化と財政危機だけでなく、少子高齢化による構造的な危機に直面しているともいえる。

愛国心は悪いのか

このようにして、日本社会はかつて持っていた自信を失っているように見える。今の若者はバブル崩壊後の「失われた20年」といわれるそうした状況を当たり前のものとして、受け止めている。そうした中、私と話しがしたいとやってきた高校生が、私が述べた愛国心強化への危惧に対して、「愛国心というのは悪いものなのですか?」という質問をした。それに対する私の答えは「日本の歴史の中で何を誇りとし、何を反省すべきかによる」というものであった。

平和憲法を持った日本は、70年近く自国の軍隊が海外で1人も殺すことがなかったということは誇ってもよいことといえるだろう。しかし、他方で1950年代の朝鮮戦争の特需で経済を復興させる足がかりをつかみ、1960年代から70年代にかけてのベトナム戦争の時にも直接戦闘には参加しなかったが、国内の基地が利用され、ナパーム弾の生産などで企業が利益を上げていた。その意味では、加害に荷担していたといわなければならない。それだけでなく、過去の戦争の被害者から現在に至るまで補償を求められているという形で加害者としての責任が問われている。

このような視点から見れば、こうした加害の事実を否定し、それを忘れないことを「自虐史観」として非難する形で排外的ナショナリズムを強めようとする愛国心ははなはだ危険だといわなければならない。また日本の自信喪失を再度の経済成長で克服しようとするのも見当違いの目標というべきだろう。なぜなら、GDPで日本を追い越した中国も、今日では格差の拡大など様々な困難に直面しており、経済成長をめざすことの限界は明らかになっているからである。

■成熟した社会の課題

日本だけでなく、少子高齢化に直面した成熟社会の課題は、もはや経済成長にはなく、持続的で幸福感を持てる社会の形成、維持ではなかろうか。自然環境を破壊し、地球温暖化を招いた従来型の経済成長を続けることは不可能であり、次の世代への責任を考えれば、許されることではない。スローライフが求められたり、幸福指標が注目されるようになったのもそれらが背景にある。

ダムのような灰色のインフラによるのではなく、森林の育成と里山再生による緑のインフラによる治水は、川が流れ込む沿岸の漁業の育成に役立つ。このような里山と里海を結ぶ自然再生による持続的発展がすでに現実的な構想となっている。

この新しい課題に答えるためには、これまでのように中央主導の効率中心の経済構造自体を改める必要がある。草の根から新しい構造を作り上げなければならない。それに取り組んでいる具体例として、財政危機と少子高齢化で自治体が消滅するのではないかという危機に直面した島根県隠岐の海士(あま)町を取り上げる。

存亡の危機に直面していた海士町は「地産地商」(地消ではなく、外に商品として出す)をめざし、サザエカレーや岩ガキ、隠岐牛というブランド商品を創り出すことで、産業振興に努めてきた。

■交流による活性化

とりわけ注目に値するのが若者活動家を外から入れたことである。「若者」「馬鹿者」「よそ者」がいれば、町は動くという山内道雄町長(2002年就任)の信念の下に、商品開発研修生を外から招いた。そのような様々な努力の結果、3年間で78世帯が増え、年間出生数も10人から15人に増加した。

そのほか町内町外半数ずつの小中学生によるアドベンチャーキャンプや未就労者の若者を招いた若者島体験塾などを開いた。これによって、外から呼び寄せた若者との交流を深めるだけでなく、人間力推進プロジェクトで真の豊かさを見つめ直した海士中の中学生が一橋大学で講義するという形で、島外に出て交流に努めている。さらに、外国人学生にホームステイをさせるという国際交流は、国境の島という意識にも支えられた試みである。

海士町の取り組みは課題先進地として、将来の日本が直面する少子高齢社会、成熟社会が直面する課題を先取りして、その解決の方向を見出そうとする努力にほかならない。それは同じような課題意識を持った有能な若者をひきつける魅力となり、そこで作られた若さと自然と人の絆が新しい希望を生み出している。こうして海士町は離島としての不利さを人の利によって、むしろ地の利に転じ、離島から日本を変え、さらには国外からの人とも交流することで、世界を変えようとしている。

■危機から希望へ

確かに今、私たちは戦争に向かうかどうかの岐路に立っている。その危機には長い歴史的な背景もある。それだけに、危機克服の課題は困難で重い。しかし、他面では、これまで見てきたように、その危機を乗り越えようとする積極的な要素もさまざまに存在する。主権者である私たちが何とか力を合わせて、この危機を克服し、平和志向の日本を草の根から創り出すことによって、世界のすべての人たちの平和的生存権を尊重する方向への流れを少しでも強めていけることを願っている。あとは強い意思と行動力でのみだ。(第1部完)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石田 雄(いしだ たけし)

1923年6月7日生まれ。旧制成蹊高校から旧東北帝国大学法文学部に進学、在学中に学徒出陣し、陸軍東京湾要塞重砲連隊へ入隊。復員後、東京大学法学部を経て、東京大学社会科学研究所教授・所長、千葉大学法経学部教授などを歴任。著書多数。

筆者近影

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