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茅ちゃん日記

世の中のこと、思うことをつづります

<戦傷病者の長い戦後>を観て 流した涙のわけ

 

見逃された方、是非!お勧めです!

【再放送】2014年3月22日(土)午前0時45分※金曜日深夜 .

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NHKの「戦傷病者の長い戦後」を観た。
2013年10月3日が日本傷痍軍人会の最後の式典になった。この頃NHKの番組が面白くない。で、あまり期待せずに録画してあったから観ようという軽い気持ちだった。が・・・気がつくと涙が流れていた。

 

涙のわけのひとつは・・・天皇の平和への思いを知ったこと

            それを安倍らは自分たちに都合のいいように解釈して

            利用していること!

 

天皇の「おことば」

昭和20年の終戦以来68年の歳月がたちました。国のために尽くし,戦火に傷つき,あるいは病に冒された戦傷病者の皆さんが歩んできた道のりには,計り知れない苦労があったこと察しています。そのような中,皆さんが互いに,また家族と,手を携えつつ,幾多の困難を乗り越え,今日の我が国の安寧と繁栄を築く上に貢献してこられたことを深くねぎらいたく思います。戦傷病者とその家族が歩んできた歴史が,決して忘れられることなく皆さんの平和を願う思いと共に,将来に語り継がれていくよう切に希望してやみません。

これに対して、安部の「祝辞」

先の大戦が終わりを告げてから、六十八年の歳月が流れました。この間、我が国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進し、繁栄を享受してまいりました。これは、戦場に倒れられた方々や戦禍に遭われ傷病を負われた方々の尊い犠牲の上に、築かれたものであります。そのことを片時も忘れてはなりません。 
 

 

  天皇の「おことば」で語られている「平和」は、安倍首相をはじめとする「靖国派」の語る「平和」とは全く意味が違う。

 

 戦傷病者とその家族が願う「平和」は、自分たちのような存在を二度とつくらないでという「思い」が結集した言葉なのだと、天皇はきちんと受け止めている。

 安倍首相とお仲間たちは、戦後の「平和」と「繁栄」は、戦没者や戦傷病者の犠牲があった「から」もたらされたと言っている。

それを同じものとしてはいけない。全く正反対のことを言っているのだ。

 

 それは、特攻隊の映画を観て、もう負けるとわかっているのに、若い優秀な命をむざむざと、なんとむごいことと、涙を流す人の心情。その一方で「感動した」という安部首相の違い。安部首相は「国家のために命を捧げるその奉仕の姿」に感動しているのだ。そう、われもこうした国民を持ちたいと。

 

涙のもうひとつのわけは・・・戦傷病者の戦後の想像もできないほどの生き様に・・・

 

 国のためと葉書1枚で兵士になって、戦争で手や足、目を奪われ、死の日まで、脳に埋まった銃弾のために耳鳴り等に悩まされながらも、必死に生き抜いてきた道のり。涙が流れ続けて止まらない。

 
 大阪府傷痍軍人会の最後の会長となった片目の木南龍雄さん(92)は、日本傷痍軍人会の式典が最後になることは喜ばしいことだという。なぜなら自分たちを最後に戦後68年「戦争がなく、新たな傷痍軍人は生まれなかった。私たちの代で解散できるのは喜ばしいこと」だと。

 ほんとうにそうだ。わたしたち日本人は世界にこれを誇りにしていい。この68年間、日本人は誰一人として、人殺しをするために戦場にでかけていないことを。それはひとえにあの戦争が敗戦でピリオドが打てたことで、つくられた戦後体制、平和憲法のおかげだ。

 

もうひとつの涙は・・・わたしの母(戦争未亡人)とわたしの父を思って

 

 母のことは話せば長くなるので、別の日にしたい。父のことを思う。父は戦争末期に南方に送られ、日本陸軍の最底辺の兵士として悲惨な軍隊生活を送っていた。終戦間近に、敵機にやられ、海に放り出され、気がついたときは捕虜として、フィリッピンの浜辺に鰯のごとく並べられていたという。しかし、これで父の命がつながり、わたしが生まれたのだ。あの時、もう少し捕虜になるのが遅かったら、母の前の夫のように餓死していたことだろう。捕虜になってから美味しいものが食べられて生きのびたのだ、と父はよく語って聞かせてくれた。

 わたしが幼い日、貧しいわが家ではよく按摩さんを頼んでいた。そうだったのだ。あの按摩さんは、戦争で失明した傷痍軍人だったのだ。母たちはひそかに彼の生活を自分たちがささやかにできることで応援していたのだ。このTVを観て、わたしは新しい発見をした。父が亡くなって、たくさんのビデオが出てきた。そのほとんどが戦争の原因を追及するものだった。父はなぜ自分たちがあのような戦争にかり出され、多くの仲間を戦場で失ったのか、その原因をずっと知りたかったのだ。

 父はわたしにいつも言っていた。「政府のすることをよ~く見ておきなさい。彼らの一言がわたしらの生活を変えるのだから」

  厚生労働省は2006年3月、戦傷病者やその妻たちの体験を後世代に語り伝える施設として「しょうけい館」(東京・千代田区)を開館。戦争を知る者がみな死んでしまったから、あの戦争はアジアを開放するためのすばらしい戦争だったという田母神たちのいう言葉がどんなにまやかしかが、わかるのではないだろうか。

 戦争を間接的にせよ戦争を知っている者たちは、あの戦争は一体なんだったのか、その戦争をどう反省して戦後の教育があったのか、後世に伝えなければならない。真実の姿を。戦争を知らない世代は、戦争を美化する偏向した自意識過剰人間たちのいう言葉に騙されず、真実を見る賢い視点をもたなければならない。